ピアノの悩み 手が小さくて届かない件について 

ピアノ塾

私は手が小さいです。

左手はなんとか9度(ドからレ)がとどきますが、右手はオクターヴがやっと!
よってプロコフィエフの戦争ソナタなんて、物理的にどうやったって弾くことができません。
こればっかりはもう、しょうがない。

マスタークラスでなんでもはっきり言う某教授が学生に、かなりダイレクトに
「弾けないものをなんで選んだんだ。弾けないものは選ぶな!!!」と言っていたのをみて、ハッとしたのを覚えています。

本当にそうだわ、弾けるものを選ぶしかないんだと。
幸いなことに、ピアノには莫大な作品量があるので、弾くものがない!ということはないので、まあそれはOKです。

若い時はこれが悲しくて仕方がなかったけれど、歳を取れば取るほど諦めというか、できる範囲の曲でいいや、とおもえるようになってきました。(それと同時に、子供ができたら男の子でないのなら、ピアノではなくてヴァイオリンをやらせよう、と無意識に思ったのですが、それはまた別のお話)

さて、手というものは大きければ良いというものではないことを、外国に来て実感しました。
ある高校生の男子生徒は当時、かなり太っていて大きかったので、鍵盤に指がはまらないくらいでした。だから私の指使いではダメで、こういう人はいくら10度が楽勝に届いても、他の苦労があると思ったものです。

オクターヴが届かないくらいだときついですが、子供のうちからかなりの練習量を積めばある程度広がりでカバーされていくということと、正しく指導されれば、かなり弾けるようになります。
指輪が取れなくなった時に、脱力すれば取れるのと同様、無駄な力が入っていなければ複雑な和音も結構抑えることが可能になります。手の角度を変えてみたり「掴もう」という意識を止めるだけで、あら不思議、弾けたりすることもあります。

反対に、いくら手が足みたいに大きくても、離鍵がとろかったら、扁平足のような手を持っているのと同じです。
機敏に軽くうごける、小さめの手で、シャンパンの響きのようなテクニックを駆使してモーツァルトを美しく軽やかに演奏することが可能です。

だから、ピアノを弾く手は、デカければ良いというものでもありません。
もちろん、大きな手で機敏なテクニックを持っていれば最高ですが。

日本から留学している優秀な学生さんたちにマスタークラスで出会うことがありますが、彼らのテクニックは欧州の学生よりもすぐれていることがしばしばあります。その人たちが欧州で素晴らしい教授に師事し、音楽的なテクニックをさらに身につけると、それはもう魅力的な演奏をするピアニストになります。

彼らがもとから馬鹿でかい手をもっていたら、その技術を習得する機会はなかったかもしれません。
手は小さめかもしれませんが、日本人にピアノは向いている楽器なのかもしれないと、最近思うようになりました。

自分に不足しているものを補うために努力すること。
これは大変なのですが、最終的にはおおきな成果となって現れるような気がします。

(でも生まれ変わったら大きな手で生まれてみたいと、やっぱり思う!)