傷つくピアノの先生と考えれば傷つく必要がない件と理想の生徒さんとの出会い

ピアノ塾

クラブハウス以来、本当にたくさんの日本のピアノの先生たちとお話をする機会があり、日本のピアノやヴァイオリンのレッスン事情、お教室運営や親御さんや生徒さんとのやりとり云々、心から驚くこと、感心すること、勉強になること、と色々の毎日です。

今日は、ある先生から許可をいただいたので、ありがち(らしい)おはなしを書いてみます。

テーマ通りなのですが、ピアノ教師をしていて、ウェブサイトやブログを持っていると、知らない方からのお問い合わせがきます。その日本の先生も、通常通りメールを受けたそうです。

「我が子のピアノの先生を探しているので明確な教室場所と料金を知りたい」とのことだったそう。

その先生は通常通り、きちんとメールを返信なさったそうですが、帰ってきた答えは、

「他の先生もあたっているので、またご連絡します」とのことだったそうです。

「この心のモヤモヤは何?」とおっしゃるその先生。

ここまで読んで、同業のピアノの先生方はどうお想いになりますか?この先生のモヤモヤ気分はどこから来るのでしょうか?

ズバリ「他の先生も当たっている」という所です。
これ、要りますか?
「ご丁寧にありがとうございました。検討させていただきます」くらいで充分な気がします。

私が子供のために先生を探している立場だったら、ほぼ100%書かない文言です。
なぜなら、これを受け取ったのが自分だったら、どういう気持ちになるか、と想像する能力があるからです。

万が一、水道の修理店を探しているのなら違います。ウィーンで何軒かに予算を出してもらい、安いところを選ぶのは普通なので「他の店と比べています」的なニュアンスは戦略的にメールに載せるのはこちらではよくあることだし、失礼ではない。

しかし、ピアノの先生業は「水道の修理屋さん」ではないのです。
この両職業、どこが違うかというと、微妙にピアノの先生は先生であって「教えてもらう」という、ちょっとリスペクト欲しいな、という職業なのです。水道屋さんも誇りを持って働いていらっしゃいますが、ちょっと違うのです。お分かりになるでしょうか?

今のご時世、お金を払ったのだからその対価を受け取るのは当たり前、生徒様=お金、は神様ですという解釈もわかります。私だって娘をヴァイオリンのマスタークラスに参加させる場合、その値段に納得した教授のマスタークラス以外に出費しようとは決して思いません。
しかし、この表現はしません。

一方、このメールを受け取って嫌な感じをうけない先生もいらっしゃると思います。

「このメールのどこが失礼なんだろう?全然ふつうだし、気にならない」
と言う方もいらっしゃると思います。そういう方々にとって、この親御さんは生涯の友になる可能性もあるかもしれません。何が言いたいかと言うと、人それぞれだ、と言うことです。合う人には合う人がいる!のです。

私はこのメールを見て「嫌だな」と思う方の人間です。
メールも返さないし、多分、あちらが頼んできても門下に取らないと思います。生徒側にもあるように、教師にも選ぶ権利があるのです。

このプロセスを通して、理想の先生と理想の生徒をみつけ、お互いに長く楽しく学べる環境を築いていけば良いのだと思います。

上のメールを受け取った先生は、はじめ「こんなもやもやとした気持ちを持つなんて心が狭いんじゃないかしら」と悩んでいらしたようです。「断ったら、うちの教室の評判が悪くなるんじゃないかしら?」と思う先生もいるかもしれません。

話はそれますが、日本ではピアノの話は別にしても、
「〜と思われるんじゃないかしら?」
「〜と言われたらどうしよう?」
という、他人本意で物事を考える習慣がかなり根強い気がします。常に、「周りにこう思われたい」「〜と思われたり、悪く言われたら怖い」という恐怖感に怯えて(?)行動する習慣がある気がします。わからない気持ちもないわけではないですが、この例を挙げてみると、押されて門下に入れちゃって、ひょっとしたら後から後悔するのは自分で、それも全部自分の責任になってしまいます。「無理そう!」という直感に応じて行動することがベストな気が、私はしますし、私はそうしています。(その先生もそうなさったようです)

音楽大学に関係した人達にとっての「常識」と、一般人にそれは絶対に理解できないという件をいつか書こうと思っていますが、上の問題はそれより簡単な部類だと思います。

物事、なににおいても「自分がこの人だったらどう思うだろう」と考えて行動したらスムーズにいくはずです。

一方、嫌な思いを感じ、直感的に「無理!」と感じたら、他人にどう思われようが、離れる、関係を持たない。
そういう習慣がつくと、生きることが楽になると追うので、試してみてください。