私の最初のアパートは、7区に位置する、古いアパートでした。古いといっても、「古くて素敵なウィーンの建物」ではなくて「ただ古いだけの建物」でした。
日本でいう1階、地上階です。何より大切なのは、ピアノの音出しが出来ること、なので即刻借りました。もちろん周りにどんな人が住んでいるのか全く分かりません。家主はウィーン郊外に住むおばあさん。
かなり古いアパートで、お風呂場は「お湯をボイラーに溜める、古いかたちのもの」です。で、具体的にどんなふうかというと。。。。
日本の方は想像ができないと思いますが、湯船に入って、髪の毛を洗おうと思うと、お湯が足らなくなり、いきなり冷たい水が出てくる、という恐ろしいものです。
湯船にお湯をたくさんためて、熱いお湯を使い切ってしまった為、シャンプーするためのお湯は、もうない。
今はさすがにこういう旧式のお風呂場は少ないと思いますが、あるとしたら、そのようなアパートは、日本女性にはおすすめしかねます。
それよりも、地上階だったのでかなり怖かったことを覚えています。だって、誰かが窓を破って侵入することなんて、今考えると可能でした。
幸い何も起きませんでしたが、このアパートで熟睡した記憶はありません。今でも、お嬢さんに1階のアパートはお勧めしません。
(ピアノがあるならしょうがないのだけれどね)
電話はもう、それはもう想像を絶する旧式で、同じ回線を使っている人が複数人いて、
誰かが通話していると繋がらない、という、今ではもう考えられない、原始時代のようなしろものでした。
当時は日本に電話をするのにも1分400円くらいかかったと思います。郵便局に行って、コレクトコールをお願いして、その場で日本の実家から電話をかけてもらうのを待ち、会話をするのが普通でした。
公衆電話から日本にかけると、小銭が面白いように消えていきました。
うわー、書きながら思い出し、自分がかなりの老人になったと思えてきます。
台所にあるガス・コンロがまた恐ろしかった。
コンロの重いスイッチをひねるとガスが出てきて、「ばち・ばち・ばち!!!」とすごい音が出て、その瞬間にすかさず、マッチで火をつけて着火するのですが、これは恐怖の瞬間でした。「ボッ!!!」と炎が舞い上がります。料理するのも毎回こわごわでした。
そして電気類をたくさん使用すると(と言っても、アイロンと、電気と、ドライアー程度ですが)いきなり、「ばちん!!!」と大きな音がしてブレーカーが降り、全ての電気が消えて、真っ暗の停電状態となるのです。
日本で何も不自由なしに生活していた私にとって、ウィーンでのひとり暮らしは、留学とかそういうレベルを超え、カルチャーショックで大変だったものです。
日本では電球いっこも変えたことがないし、
今度は何が起きるのだろうと、恐怖に怯えて(大袈裟ですが)生活したものです。
30年以上たつと、人間かなりたくましくなるもので、今はかなり強く成長しました。なんでも即座に対応することができますが、電気関係、水道関係の基礎知識は、学校の勉強よりも大切だな、と今でも思います。
今思い出すと、懐かしいですが、本当に当時ってどんな環境だよ〜、とつくづく思います。ウィーンもかなり進歩しました!!!