オーストリア・ウィーン 外国での子育て バイリンガル教育/うちの場合②

バイリンガル 外国での子育て

先日、以前書いた①をアップしたのでその続きです。

昨日のつづきです。

バイリンガルという表現がうちには当てはまりませんが、わかりやすいので使いました。

ウィーンのフレンチスクール、リセの思い出 幼稚部の時のお話
リセの幼稚部に見学に行き、教育方針をみて、すっかり感激した私は父親と相談して、トライしてみることにしました。

リセ・フランセ・ヴィエンナのHPはこちらです。

*これは幼稚部最終学年の授業参観の写真
手前が長男*

ただでさえ、ほかに3ヶ国語あるのに、フランス語という、子供達と全く関係のない語学を増やしてしまうことに幾人かの人は難色を示しました。
「言葉がたくさん増えてしまって、子供が根無草になったらどうするの?」みたいな失礼な言葉を日本人からかけられたこともありました。失礼な表現ですよね。当時「大きなお世話。将来を見ていなさい!」と思いましたが、その通りになっているので、私は間違っていなかったと思います。

さて、それでも同時はそんなに自信もなかったので、「ダメだったら、オーストリアの幼稚園に戻せばいいや。」くらいに構えていました。

インターナショナルな学校を選んだ理由のひとつに、当時の政治傾向が右翼に傾倒して怖かったことも大きいですが、それ以前に、リセの幼稚園が「きちんとしたカリキュラムのある学校」だったことも大きな要因のひとつです。(これは他のインターナショナルの幼稚園もおなじ)

私がフルタイムで働いているあいだ、子供が幼稚園で放し飼いにされ、ろくに何も学ばず、ウィーン訛りの変な表現ばかり覚えると思うと(長男が4歳まで通った私立幼稚園がこうでした)ゾッとしました。絶対に嫌だと。

終日、そこで過ごし、何かのプラスを得られる、そして楽しいと思える場所に息子を通わせたいと思いました。

*これはなんかの簡単なお遊びの実験発表みたいなもの
中央が長男*

3ヶ月が経ち、友人もできた息子、この幼稚園(リセ)をやめたくない、と言いました。

「フランス語、わからないんじゃない?」と聞くと、「大丈夫」という答え。それどころか、「フランス語は世界で一番美しい言葉なんだよ」、と言ったのには、かなり苦笑しましたが
数ヶ月でこのフレーズを自然に身につけるとは「フランス教育、恐るべし」と思いました。

良い友達がたくさんできたこと(みんな女の子だった…)幼稚園といえども「きちんとプログラム」があって、子供たちが退屈をしないことも大きな理由でした。「ひとクラスの人数も少なく」(当時ね)担任の先生、補佐の先生、そしてドイツ語と音楽の先生も特別に指導します。

至れり尽くせりです。
簡単に表現すれば、良質な日本の幼稚園みたいなのです。

食事の内容もかなりよく、きちんとナイフとフォークで食事できるマナーも教えてくれる。私にとって心地よい友人も増えたし、楽しい時代でした。

*幼稚部最終日のパーティで。
みんな願いを込めた風船を飛ばしました。
なんと、ブラチスラバまで届いた風船があったそうです。
懐かしいな〜〜〜*

長女の時は3歳から入園させたのですが、やっぱり2番目の子は覚えが早く、フランス語をベラベラ話し始めたのは長男よりずっと早かったですが、これは大きくなるにつれ逆転してきます。

しかし、楽しい楽しいだけで済むわけもなく、小学校入学後のためにフランス語へ触れる努力を私は「かなり」することになります。

続きはまた。