ヴァイオリンのちびっこコンクール談義 教師・親、いろんな人の態度について思うこと

コンクール

今日、ちょうどお友達が生徒さんのコンクールに同伴し、集中したい所に保護者さんだか、同業者の先生だかがやたら話しかけてきて、「ちょっとほっといてくれませんか!」オーラを満面に出したのにガン無視、本当に、あれは新手の嫌がらせ?と思ってしまったという気の毒なお話を伺って、コンクールについて書こうかな、と思い書いています。

もちろん、世界的なVnの国際コンクールについては書きません。もう、あまりにも多くの事がありすぎて、「なんとか暴露チャンネル」まがいになってバンされ、身に危険を感じる、なんてことに(なるわけない)なりそうなので、ここには書くのは、私の娘の幼少時代コンクールでの「おいおい、やめれ」と思ったエピソードです。

まず、もう、20年も前のオーストリアのナショナル・コンクール「プリマ・ラ・ムジカ」ヴァイオリン部門でのお話です。

が5歳での初めてのコンクールだったので、私はドキドキ。同伴してくださった先生は余裕でニコニコ、当の娘は会場にあったレストランで父親と楽しくフレンチポテトを頬張っていました。

さて、音出しで別室に案内されると、若い先生が、娘と同じくらいの歳のお嬢ちゃんに怒鳴り散らしています。

「もっと全弓を使って!どうして出来ないの?いつも言ってるじゃないの!!!!」

その子はもう数分で舞台に上がって演奏するのに、かわいそうにもう涙目。本番数分前に、今更「全弓」なんて言ったって、できるわけないじゃん。日頃教えろよ、かわいそうに、と思ったのですが、本当に教師選びは大切です。

当時は「映像権」なんてものも全く無視の時代でした。
どっかで、聴いたことのあるシャコンヌが聴こえてくるなあ、と思ったら、知らないお父さんが娘のビデオを撮っていて、ロビーでみんなで見ていました。これが日本だったら、親御さんは怒り狂って、ビデオ投げるんだろうなあ、と思いつつ、「あのー、個人で楽しむ以外、使わないでくださいね」というのが精一杯でした。滝汗。

あと、ヒガみで上手な門下の悪口を言うのも、ここ、オーストリアでも当時はよくありました。
当時の娘の先生はウィーン国立音楽大学と今でいうウィーン私立音楽大学の予備科(当時は19歳までは5歳児でも予備科だった)の教授で、生徒は全員、めちゃめちゃ上手く、常時1位をキープしていたのですが、私達に聞こえよがしに、

「あそこの生徒たちはコンクールのために何年も同じ曲をやってるのよ。だから、取れて当然なのよ」と若いどっかの音楽教室の教師が大声で話していたりしました。

「他の曲もやってるし〜」と言いたいところでしたが、その人のかわいそうなヘタクソの生徒を見るともう、言葉も返せない感じでした。どうでもいい、なんとでも言いなさい、という感じです。

国際コンクールとなると、この変な人の輪も国際的になります。
ちょっと有名な子供コンクールになると、人のステージ・リハーサルの時間なのに、その生徒、親、教師全員が舞台に上がってしまって「乗っ取る」なんてことザラです。強行したほうが勝ち、アリアリです。

親御さんたちは、同じ受験者の親に近づき、その子供が自国で師事している教授の情報収集に必死になります。この時、親御さん同時が仲良くなって、良い感じになれば良いのですが、自分の欲しい情報だけとったら、相手には自分の情報を渡さない、そんな親御さんは残念ながら半数います。(変な親御さんのお子さんは、私の見る限り大成していません。これはもう、悲しいくらいカルマ)

それでもやっぱり楽しいのは最終日の受賞者コンサートです。
何度も書きましたが、イタリアでのコンサートは最高です。始まる時間が遅い(夜の9時過ぎだったりする)のが玉に瑕ですが、暖かい拍手に沢山のお花のプレゼントやトロフィーに賞金。最高に子供のモチベーションはだだ上がりです。

変な思い出もたくさんありますが、受賞者コンサートの良い思い出は、それらを全部吹き飛ばすぐらい楽しかったことを思い出します。なので、ここにあるように、おすすめです。