あるどこかの音楽大学に(しつこいですが、日本ではない)ある教授がいて(日本人ではありません)その人は音大で教える傍ら、オーケストラ勤務をしていました。その教授は、学生にかなり強引にオーケストラの入団試験を受けることを勧めます。(音大名も専攻名も教授の性別も、すべて架空の話だと思ってください)
「ソリストになんてなれる人間はそんなにいないのよ。だから現実を見てオーケストラの入団試験に力を入れなさい。コンクールを受けるなんて時間の無駄。私は反対です。」
こればっかり。
学生達の反応はそれぞれで、もともとオケ志望の人は喜んで従い、しかし、ソロとして本当に頑張ってきた数人は複雑な、はっきり言えば興味もないオケの入団試験を強制されることにうんざりしていました。
するとその教授、オケ行きの学生は(下手なのに)褒めまくり称賛する、実際にかなり弾けてオケに興味を示さない学生にはダメ出しをしたり、辛く当たる。
まあ、はっきり言ってパワハラです。
自分がソリストとして成功できなかった、そのトラウマで圧力をかけている、と学生たちは陰で不満を言っていたようです。
嫌な思いをしてまでそこに残る意味がない、と決断した生徒はさっさと門下を替えました。さすが欧州、その数は少なくはありませんでした。しかし自分の意見を言うことのできない、自信のない学生はもやもやしたまま同じ場所にいたようです。
この一連の出来事を見ていて思ったことです。
「自分のことは自分で決めよう」
人というものは、自分の決断に確信が持てない場合があります。
誰かに背中を押してもらいたい、やっぱり自分の決めた事は正しかったんだわ、と思いたい。その為に他人に意見を求めるのですが、求めた相手が上記の人のような場合は、困ったことになります。
自分の軸がきちんとしていれば、
「私はオーケストラで働きたい!オケ団員は私の夢だし、この人についていこう!!!」となるでしょうし、
「まだ自分の可能性を試したい。この教授とは方向性が違う」と思えば、嫌味や意地悪を言われようが、きちんと教授に説明し、門下を離れれば良いのです。
まずいのは、「ああ、教授がそういうならそうしよう、怖いし、睨まれたら嫌だもの」と思って従うケースでしょう。でも、それが自分の希望でなかった場合、数年後
「教授がこう言ったからやったのに、結局オケでもダメだった。全部あの人のせいよ!」
と文句を言うことになるのです。
この場合、断言して悪いのは教授ではありません。
従った「自分」です。18も過ぎればこちらでは大人です。自分の決めたことを、うまくいかなかったからといって「あの時、誰々がこうアドヴァイスしたから」とぐちゃぐちゃ言うようになるのです。これは最悪です。
人間、寿命が伸びて人生は長いのです。
自分の決めたことをやっていきましょう。人生は長いけれど、何かをやれる時間はあっという間に過ぎ去ります。後々後悔をしないように。。。。
余分ですが、私は何かを相談された時、「ああ、この人は結果が悪かった時、アドヴァイスした私のせいにするな」と感じる人には「私はこう思うけれど、それは自分で決めることよ」とはっきり言います。子供ならまだしも、年齢を重ねた人にその傾向が多いのも残念ながら事実です。
「自分」のことは「自分」で決めましょう。
他人がどう言ったって、どう思われたって、関係ないのです。あなたの人生です。
自分で決めたら、結果はどうであれ納得のいくものになります。それがダメだったらまた、先に進めば良いのです。