「器用な子」は他人が思うほど幸せでなかったりする、というお話

ピアノとヴァイオリン

久々に10年くらい前の生徒のママと会う機会があって、この話になったので書いてみます。
私が彼女の子供にピアノを教えていたのはかなり昔の話です。あるあるですが、母親の方が「子供がピアノを弾ける」ことに憧れて、ピアノを購入、そして私が友人ということもあってレッスンに来ていました。当時、彼女は10歳くらい?息子の同級生でした。

この子がいわゆる「器用な子」でした。
勉強も授業中に理解してしまうのでなんの苦も無く、テストも上くらいの成績で過ごしていました。ピアノも教える前から手の形等自然にできちゃってる感じの子。教えれば、初めは興味を持っているので音符も読めるようになるし、絶対音感らしきものもある。ママも初めは喜んでいました。

が、しかし。
この、なんでも結構苦労なく、ある程度できちゃうお嬢さん。ちょっとできない事にぶち当たるともう面倒くさくなっちゃうのです。そして興味がなくなる。第三者がどんなに努力しても、「すぐにできない」ことを克服すると言うめんどくささには耐えられないのです。なんでも初めはスラスラ〜とできちゃうのですが、何かハードルが現れると一気に侮辱された気持ちになって逃げてしまう。

それで学校も中退、行く学校も大学も続かず、親が医者で診療所も何もかも全て揃っているのに、それを継ぐ興味も実力もゼロで親御さんはかなり落胆していました。

で、何が言いたいかというと、こう言う子って結構いると言うお話です。
うちみたいに不器用な子供達(今は大人だけど)を持っていると、器用な子供というのは羨ましいものですが、実は違う、と。

例えばヴァイオリン。
特に教えられていないのに、始めっから左手のフォームができていてなんとなく音程正しくできちゃう子。特に苦労しない。譜読みもなんか出来ちゃって、なんとなく弾けちゃう。
しかしながら、なんとなくできていてもこの世界は150%出来ているくらいでちょうど良いので、大人になってたくさんの誘惑が出現すると、サーっとそっちに行っちゃって、ヴァイオリンは上達しない、ずっと子供の頃の貯金で弾いてる、結局パッとしない事になる、等々が残念ながら、かなりの数あります。

私の前生徒嬢はきっと母親とは全く違うDNAだったのでしょう。
結局すばらしい学位は取得しなかったのですが、有名なレストランのマネージャーになって今ではバリバリ働いています。
だから器用である程度まではなんでもこなせても、結局は自分の本当の意味での興味がないと何も進化しないのです。
それを見つけるまで、彼女はかなりの時を過ごす事になるのですが、結果良かったのです。

だから「器用であること」は必ずしもすっごく羨ましいことではないという事です。
ある人は、子供の頃は不器用でそんなにパッとしなかったけれど、大人になって本当の意味での興味が湧いてきて、毎日楽しく練習し、充実している、なんてあるのです。

『子供の時の出来・実績』は全てではない、という事にもつながると思います。
ヴァイオリンなんて特にピアノに比べるとリタラトゥア(曲数)が多くありません。
ティーンエイジャーでチャイコフスキーのコンチェルトがペラッと弾けたら20歳になる頃には退屈で飽きちゃう、というのは当たり前のことかもしれません。そしてある程度の年齢になったら、なんとなくみんな同じようになっちゃう(レベルの違いはあるにしても)ということです。

たかが器用貧乏、されど器用貧乏、なのです。