「楽譜を買う」という当たり前のことがこちらではなんと「まれ」という事実

ピアノとヴァイオリン

最近ずっとブログをサボっていたのですが、「書くことは大切。ボケ防止に役にたつ」と言われたので、ちょっと頑張ってみる私です。

さて、日本であればピアノやヴァイオリンを習った場合、専門だろうが趣味だろうが、「楽譜」を買うのは当たり前です(よね?)
こちらで教えて、多くのカルチャーショックがあったのですが、これもそのひとつです。

ウィーン市でやっている、街の音楽教室などは、沢山の曲が入った教本を買わせて、それをはじめっからタラタラやって、なんてのが簡単なので、そういう場合は「教本」を買う、ということが起きるのですが、個人の場合は少し違うようです。

娘のヴァイオリンの初めの先生はウクライナの先生ですが、エチュードの教本は購入しましたが、「曲」や「コンチェルト」となると、指番号や弓順の書かれたコピーを渡されて、それをコピーして、次の週にお返しする、という感じでした。

娘の場合は専門であって趣味ではないので、楽譜を購入することはほぼ当たり前、しかし山ほど書き込むのでコピーは何部もとって使う感じでした。

さてさて、ガチで趣味の場合ですが、沢山の曲をやる場合、全ての楽譜を買う、という人はかなり少ないです。先生がコピーしてあげる、ということが多い気がします。なぜか?答えは簡単、買ったら高いからです。それと、日本みたいに真摯な気持ちで「楽譜」というものを大切に思う気持ちがかなり少ないからでしょう。

私が日本にいた頃は、外国版の楽譜を購入して使うのがそれはもう誇らしくて、わざと透明で助けるバックを購入して、見えるようにパデレフスキー版のショパンのバラードとか持ち歩いたものですが、そんな気持ちはこっちの人にはわからないようです。

音大生でも節約したくて人から楽譜のコピーを無心する、なんて人はザラにいます。さすがに日本人にそれはあまりいないですが、ヴァイオリンの伴奏譜をコピーさせて、なんてお願いは年中来るものです。

しかし、その習慣を打ち破ってくれる生徒さんが登場しました。

大人の趣味のピアノの生徒さんです。
こっちが遠慮しちゃうくらい、「買います」と言って購入する。ショパンの前奏曲、バッハの小曲、シューマンの子供の情景、モーツァルトのソナタ、ハノンまですごい量の楽譜を抱えてうちに来ます。

新しい楽譜を購入して、それを大切に使うのが嬉しいのだそうです。
おお、オーストリア人なのに!私はかなり感激しました。ピアノの練習が楽しくて、関連するすべてが喜びに溢れるそうですからもう、私もとても嬉しいことです。

たかが楽譜、されど楽譜、ですね。