執着しないと楽になる生き方ができるので、執着するのはやめましょう

ピアノとヴァイオリン

なんか、スピリチュアルみたいな表題になってしまいましたが、私が50代を超えてできるようになってきたことのひとつが、これです。

「物事に執着しない」

例を挙げれば
「このコンクールに通過しないのならもう、悲しくて数ヶ月も泣く」とか、
「出来レースの試験で、あんな下手な子が通過して不公平」とか、
「お金がないから、良い教授のレッスン料が払えない、絶望」

など、音楽関係だけでも数え上げればキリがないです。

ビジネス上でも、
「あの人はこういったのに、全然違うじゃないの。騙された」とか
「この仕事は私のものなのに」
などいろいろです。

いろいろな人のお話を聞いたり、読んだりして、

「起きてしまったことは、将来の自分のためにプラスになるために起きたのだ」

と、信じることが身についたのです。

実際に
「希望していた教授の門下に入れなかったけれど、そのおかげで100万倍良い教授のクラスに入れた!」

「ひどいコンクールで縁がなかったけれど、その代わり素晴らしい出会いがあった」など、たくさんの良いことが起きました。

あの時、上手くいっていれば「一時的にとても幸せな気持ちになれたかもしれませんが、結果としてはそこでもっと大きな幸運を逃していた」ということの方が結構あります。

最近の例で言ったら「引っ越し」です。
23年も住んでいた9区のアパートをかなり気に入ってはいたのですが、家賃の高騰やいろいろな事があって引っ越す決心をしました。
そして当時、やはり9区に音出しの自由にできる、とても良さそうな物件をひょんなことから見つけ、1年前から約束していたのですが、土壇場になって、貸し手企業の役員の誰かが私から奪ってしまいました。私は袖にされて、煮えたぎるほど腹が立ったのですが、結局はそこよりずっと良い、私たちの条件にドンピシャの物件を見つけたのでした。そして今、私は幸せ。

もし、9区の物件に住んでいたら、と思うと今はマイナス点しか思いつきません。やっぱりここに引っ越すために、誰かが私からあの物件をとっちゃったのです。「私からその物件を奪ってくれて、どうもありがとう」です。

もうひとつ。最近聞いた話です。
ある青年が某所に勤めていました。彼は真面目に勤務し、あまりに給料が低いので昇給をお願いしたところ、昇給してくれるどころか、あらぬ言いがかりをつけられ、結局は退社したそうです。しかし数ヶ月後、まさに手取り額が倍以上の有名企業に務めることが出来たというから、本当に素晴らしい事です。もしあの時、手取りで30ユーロくらいの昇級をもらっていたら、バカみたいに喜んでその会社で勤務を続けていた事でしょう。これも、「いじわるしてくれてありがとう。昇給を断ってくれて感謝します」なのです。

この歳になると、小さなことでグタグタ悩むのは時間がもったえなく感じます。気楽に構えて、運命に身を任せると良いことが自然に降ってきたりするもので、人生は面白いです。

みなさんも、腹が立つことがあっても、
「これは将来にもっといいことがあるためのすテップだわ、気にしない!」
と思うと、本当に良いことが訪れるかもしれませんよ。