ピアノの理想の手のかたち「いつも手の中に卵を」の弊害「30センチの物差し」の思い出

ピアノとヴァイオリン

素人の母親が、

「ピアノの理想の手の形は、いっつも手の中に卵が保たれている状態で、それが崩れたら絶対にダメ!」

という情報を仕入れてきて、おうちで練習する子供の横に座り、30センチの竹の物差しを持ち、少しでも子供の卵が潰れると、「ビシャ」っと叩く。Twitterで知ったのですが、これは昭和のアルアルだったようです。私以外にも体験した方がいらして驚きました!

実は「私はこれがすごく嫌だった」という想い出は私にはありません。トラウマになる前に、暴走する(たぶんね)母親に、ピアノの先生が、

「オカアサマッ、オカアサマはおうちで佳奈ちゃんに余計なことを教えないでクダサイネッ!!!」

と言い、それ以降、母親はピアノにノータッチ。「30センチ物差しピシャンの刑」も自然消滅したのでした。

で、ふたたび卵のお話。
YouTube時代到来。アルゲリッチだって誰だって、常時かれらのお手々の中に「卵」が入っていないのは、今の時代、一目瞭然です。

もちろん、子供や初心者には、「卵」だ「リンゴ」だ「ミカン」とか言っておけば、わかりやすいのはわかります。しかし真面目さから来る固執は、大きな害を生むのです。

ピアノはそのフレーズやパッセージ、和音などのポジションにより、それぞれの手の形や極端に言えば身体の場所も変わってきます。それにそれぞれみんな持っている身体も腕も手も全然違うのですから、本当にもう、あり得ない数の可能性があるのです。

「卵」にこだわって、手首ガチガチ、身体もガチガチになったら、「なにしてるの?」ってことになってしまいます。だからこのような「ピアノ格言」は知っているのは良いとしても、こだわりすぎたら逆効果、となるのです。

じゃあ、どうしたら良い手の形になるのでしょうか?

というか、ちょっと待ってください。
「楽器を演奏することの目的」とはなんでしょう?「美しい手の形で演奏して、人に見せて自慢すること」でしょうか?

違いますよね。

本来の目的は「美しい演奏を生み出すこと」なのです。

ヴァイオリンの多くの巨匠がマスタークラスでこうおっしゃるのを良く耳にしました。

「出てくる音が美しければ、弓使いなんてどうでもいい。」オジム先生なんて「弓を逆さにもったっていい、足で弾いてもいい」とおっしゃってました(もちろんジョークだけど)

そう言うことです。

変なこだわりは、「木を見て森を見ない状態」になります。

理想のフォームとは、決して卵なんて単純なものではなく、「手や身体を壊すことなく、色々なヴァリエーションの音を生み出すことのできる体勢」なのです。卵は潰れても、時には全然大丈夫なのです。