暗譜が苦手ってどういうこと?暗譜は出来なければいけないの?暗譜ができないのは悪いこと?

ピアノとヴァイオリン

私の考えの結論は「その人の置かれている立場によって違うので、一概に悪いだとか、絶対にするべきだとか言えない!」ということです。

例えば、プロだったら(面倒なのでざっくり表現しますが)やって当たり前、出来て当たり前です。
譜読みが終わって、暗譜もできて、その状態から「さらに追求する」というのが普通の作業なので、暗譜ができない、もしくは苦手、というのであれば若いうちからこれを改善しなければいけません。だって、プロなんだもの。暗譜で弾けなかったらコンクールも受けられないじゃない。

注)書き加えますが、現代曲の暗譜は、ヴァイオリンのコンクールなどでは「暗譜」ではありません。譜面を立てるのは当たり前のようなものです。

では、趣味の場合はどうでしょうか?

もちろん、暗譜ができるに越したことはありません。だって、暗譜ができている、ということはその他のテクニックや音楽的表現の作業ができる段階にある、ということだからです。できる人はどんどんやるべきです。

しかししかし、そこをピアノの教師全体が気をつけなければいけない、「自分のモノサシで人を測るべきではない」というお話に入ります。

話は飛びますが、私はある漫画の「あなたのその小さなモノサシで、私を測らないでくださいね」(とても丁寧に表現しています。なんの漫画だか、分かる方はいらっしゃるでしょうか?)という文言が好きで、機会があると、心の中で相手に言い返したりしています。

ピアノの先生はみな音楽大学、もしくは大学院を卒業し、時には留学し、人生何万時間もピアノに費やしています。誇りもプライドも、実はガンガンにあったりします。なので、生徒を当時の自分に重ねてしまうことが非常に多いのです。私は若い頃、日本でピアノを教えていたときは、もろ、これでした。

完璧に趣味であろう子供に対して「その歳で毎日1時間も練習しないなんてあり得ない!」とか「弾かない日があるなんて、もうそんなの人間じゃない」と本気で思うレベルです。馬鹿ですよね。なに考えてんだ、と当時の私を責めたくなります。

「当時の私の生徒」は、「毎日ガンバッタ当時の自分」とは違うのです。どうしてでしょう?考えてもみてください。私は当時「音楽大学の教授」に師事していたけれど、当時の私は「音大出たての、ただの音大卒業生」でした。自分の立ち位置さえわかっていない。

「こうでなければいけない」という自分本位な「固定観念を人に押し付けてはいけない」ということを私は年を経て学びました。それが漫画のセリフを見て、おお、これぞ私の思うこと、と感心したのです。

もし教師が、時間がない中、それでも楽しくピアノを学んでいる人に対して、
「暗譜もできないのなら、ピアノなんてやめた方がいいわ!」とか「そんないい加減な気持ちでピアノをやるなんて芸術に対する冒涜です!」なんていうのなら、牛嶋馨のセリフをそのまま返して差し上げればいいと思います。

ごちゃごちゃ話は飛びまくりましたが、私の思う結論です。
暗譜をしなければいけない立場の人ならば、暗譜は当たり前のコンコンチキで、出来ないのなら徹底して正しい指導者をみつけ、きちんと指導してもらい、改善し、できるようにすること。できない原因は絶対にあるので、年齢の若いうちに絶対に改善しましょう。

そして趣味で楽しんでいる人は、マイペースで自分のできる範囲で頑張れば良い、という話です。暗譜には正しいやり方と実際の練習時間数必須がありますが、それは各自先生に相談してみると良いと思います。
心無い人の冷たい言葉で、あなたの楽しみの気持ちを奪われる必要はないのですから。

そしてまた最後に。
引退したプロのピアニスト、巨匠たちが譜面台を立ててコンサートをすることはヨーロッパでは全く珍しくありません。(もちろんガン見で弾くわけではなく、置いてあるだけ)でもそんなことを責める野暮な人はいません。要は、素晴らしい演奏ができれば良いだけの話で、目を瞑って聴いてその演奏が素晴らしければ、それはもう、OKだと思いませんか?「見た目だけ」にこだわらないヨーロッパの良い面の一部です。