オーストリア・ウィーン 外国での子育て バイリンガル教育/うちの場合③

バイリンガル 外国での子育て

昨日のつづきです。

ウィーンのフレンチスクール、リセの思い出 小学校から卒業まで

リセの幼稚園を2年終えた長男を観察してみると、そんなにフランス語が話せているような実感もないし、こりゃあ、大丈夫なのかしら?と実はかなり心配だった私。
担任の先生も園長先生も「安心しなさい。すぐにあなたよりずっと上手くなるから」とはいうけれど、それは母国語がドイツ語や英語の子供の場合であって、うちみたいになんか国語もごちゃごちゃあって、メインは日本語みたいになっている息子はやっていけるのかしら?

幼稚部の年長組からは、週2回のフランス人の家庭教師に来てもらいました。
家庭教師といっても相手は子供なので一緒にテキストをやって、遊んだり歌ったり、というものです。彼女はのちにリセの小学校の先生になって、私の大親友になります。
息子は彼女をDeuxième maman(2番目のママ)となずけ、大事な存在となります。(彼女は数年前に亡くなってしまった)

私は週に3回フランス語の教室に通い、小学校の教科書を全て訳して、息子に何を聞かれても日本語で説明できるように準備していました。毎日、夜中まで勉強しました。

フレンチスクール言っても純フランス人の生徒はクラスの三割くらい。
あとはオーストリア人や外人。ドイツ語が母国語の子供達です。フランス語しか話せない子で、息子と仲の良い子を積極的に家に招待し、家族ぐるみの友人になりました。
お社交好きなクラスだったので、週末はほぼ、お誕生日パーティ。

子供たちは楽しく遊び、親はお迎えの時にシャンパンを開けておしゃべりに興じていました。私が下手くそなフランス語を話すと、彼らはドイツ語を話さないので、喜んでくれて、こちらも嬉しくなって、次はこれを言おう、あれを言おう、とモチベーションが湧いて楽しく勉強しました。

その時の友人やそのご両親は、本当にたくさん息子を助けてくれました。

夏休みやその他の長い休暇の時はパリに住むフランス人の友人が、息子だけ預かってくれました。

「あんたたちが来るとフランス語の勉強にならないからひとりでよこさなきゃダメよ!」と言われ、彼は6歳くらいから、定期的にひとりでパリまで飛んでいました。
と言っても、CAの優しいお姉さんがずっとついてくれるので喜んでいました。

そういえば、息子が悲しいとかいって泣くことはありませんでした。私の方が泣いていました。もともと深く考えない性格がよかったのかもしれません。まだ、長女がヴァイオリンを始めていなかったで、長男の小学生時代は彼にかかりっきりでした。

やがて小学校も高学年になると私のフランス語なんて全然役に立たず、ドイツ語も彼の方がずっと上手に(会話ね)なってきます。そうすると、私が宿題をチェックすると逆に間違えだらけになるので、もう手が出せません。

親友は定期的に息子の勉強を見てくれました。(というかとにかくフランス語で会話をしにきてくれた)

学校が紹介してくれた、休暇中の家庭教師は、なんと、学校の先生。日本だったらあり得ない話ですが(不公平だなんだで)当時はなんでもありでした。(今はダメ)
学校いわく、「彼の成績のためならば協力します」すごくないですか?

国際バカロレアの試験(高校卒業兼大学入学資格試験)は2年かけて行われるのですが、当時私はもう、長女のヴァイオリンにつきっきり。長男を全く助けてあげなかったので申し訳なかったのですが、まあまあ良い成績でバカロレアを取ることができました。卒業時は授業料も高くなっていたので心からほっとしたのを覚えています。

フランスとに関してのまとめ。

何もしなかったら絶対にやりきれなかったと思います。
親もその学校の語学をわからなければきついし、母国語が同じ種類の言語でない場合、かなりのサポートが必要になります。これらを楽しんでできた私は幸せだったと思います。

日本語に関しては、ウィーンの日本人学校の体験入学に行ったり、小学校4年生までは公文もやりました。バカロレアでは当時、日本語もチョイスすることができたので、日本語でも点数を稼いでいました。これは毎日、私と練習しました。机の上で日本語を学習したのは少しの間でしたが、数年前はウィーン大学法学部のゼミで京都大学に行き楽しい時間を過ごしたようです。

これはその時の写真。
日本に向かう飛行機の中。

父親(帰化したオーストリア人)との言語はペルシャ語ですが、私が父親に絶対にドイツ語での会話は禁止!と徹底していたので(それでも父親の方がドイツ語を喋っちゃう)こちらは日常会話はほぼOKです。高校の夏休みでテヘランに2ヶ月滞在した時には全く困らなかったようです。(しかし、最近聞いた話だけれど、彼が1人で帰国する際危うくウィーンに帰国できなくなるトラブルに巻き込まれそうになったそうです。で、ペルシャ語を話せないふりを徹底し、難を逃れたそう。今聞いて心からゾッとしました)

ドイツ語・フランス語が母国語レベルになると、続く英語・スペイン語を習得するのはとても楽なようです。

長女に関しては、リセに3歳から8歳まで在籍して、当時は本当にベラベラ喋っていたのですが、ヴァイオリンが忙しくなり、リセとの両立はもちろん不可能、9歳で普通校に行ったらものの見事にフランス語は全て忘れました。

でも今は、会話をしたり聞いたりすると思い出してきて、聞く方はほぼ戻ったようです。彼女は、日本語を話しますが読み書きは教える努力をしなかったので(ヴァイオリン第一)ゼロ。日本人のお友達から日本語のメールをもらって毎回パニクっています(笑)
ペルシャ語はゼロ。学ぶ努力を、親も子もしませんでした。でもドイツ語・英語には困りません。今はスペイン語の中にいますが、これもなんとなくわかる程度。

さて、ここまで語学の話をしてきていて
今更なのですが。。。。

欧州にいると複数の言葉で会話できる人はたくさんいます。残念ながら語学といってもおしゃべりができるだけではあまり役に立たず、(もちろんゲルマニスティックやロマニスティックみたいな文学科は別です)専門分野が必要になります。

私は金融機関に務めた事がありますが、当たり前ですが日本語科を卒業して、カタコトの日本語が話せるだけでは雇ってもらえません。専門分野、例えばちゃんと経済学部や法学部などを卒業して、そのおまけで「言語」なら良いですが、専門分野の実績がないと、正直厳しいです。

何が言いたいかというと、たかが語学です。

たくさん出来れば良いに決まっていますが、
それだけが大切ではありません。自分だけのスペシャリティの何か、を持つことが大切ですだと子供を育てて感じた大きなことです。

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