ピアノでもヴァイオリンでも「自分を落として謙虚に振る舞う」もしくは「付箋を張る」ことが美徳ではない欧州のお話

ピアノとヴァイオリン

試験前に、きちんと勉強したくせに「あ〜、全然勉強してないの」と言ったり「勉強しても頭に入らないの。アタシ馬鹿なのかしら?」なんて会話を日本では普通に耳にします。

音楽の世界でも同じです。

多分練習していたのであろうけれど、「全然練習してないの」とか「いくら練習しても上手くならないわ」は日本人の挨拶のようなもの。これは失敗した時の付箋であり、また、これをしないと「なんかエラソーで嫌な人ね」と思われる。いつも周りを気にしなければいけない、悲しい事です。

しかしこれ、こちらだと真逆です。

特に本気組の世界では、自分が練習していようがしていまいが、自分の非を認めたら負けです。
練習をしていなくて舞台で大失敗をしても、「うちの息子は素晴らしく演奏しました。本当にセンセーショナルで歴史に残ります」と堂々という親を私は何人も見てきましたから、事実です。本人は流石に、「上手く行った」とは言いませんが、「間違えた!」とは言いません。「ちょっと思う通りには行かなかったな」みたいな感じです。

嘘でも言い続ければ、みんな信じる。
現に観客の98%はその道の素人。噂を流せばみんな信じちゃうのです。これは恐ろしいことですが、本当です。

例えば誰かが(日本では普通のように)「ああ、私って本番のいつもどこかで間違えちゃうの。」と言ったとします。すると他の親御さんや誰かが、「誰々さんはお気の毒に本番に弱いのよ。残念ねえ。」と広めるわけです。で、私の耳にも「誰々さんって、本番では全くダメなんですって。じゃあ、次のコンクールでもダメね。」となって入ってきちゃうのです。

自分はそんなレベルにいないから大丈夫、と思ってはいけません。
言葉は呪文となって本人に呪いをかけます。

「私ってどんなに練習しても上達しないの」

これは、「私のいう『上達』は一般人が想像するレベルのものではなく、もっと高いものなの。だから『上達しない』って言ってるのよ」と思っていたとしても、アウトだと私は思います。
だって、言い続けるとその言葉は本当になっちゃうのです。よって、本当に上達しなくなります。

謙虚ではなく、本当に上達しないと思っているのなら、ランクの高い教授に習うとかして指導者を変えたり、できるだけの努力をしてみるもの悪くありません。でも、故バシキロフ教授がおっしゃったように、

「お前のレヴェルで弾けない曲なら、はじめっから弾くな!!!」ということもあるので、私はプロコフィエフの戦争ソナタを弾こう、なんて死んでも思いません。だって、左手で10度連続掴めないもん。物理的に無理なものは、練習しても無理です。

さて、話はそれましたが、何が言いたいかというと自分を落とすようなねがティフな言葉は発さない方が良い、ということです。こちらでは思わぬ命取りになることもあるので、要注意です。