*写真は実際に私が使っていたソナチネ・アルバムです。古くってもう、骨董品!*
私はピアノの「ソナチネ・アルバム」が大好きです。
日本でピアノを学んだ方なら誰でもご存知の、あの、全音楽譜出版から出ている「ソナチネ・アルバム」を私も子供の頃に使っていました。
第一巻にはクーナウ、クレメンティ、ハイドン、モーツァルトに簡単なベートーヴェンとデュセックのソナチネが載っています。
「ああ、ピアノが好きだな〜」と思ったのは多分この時代でしょう。
先生は近くに住む普通の音大生だったことを記憶しています。全くもってプロフェッショナルなレッスンではなく(申し訳ないが)ただただ楽しいだけの時間で、私の親が関知しないのを良いことに、レッスン時間も相当端折って教えていた気がします。
しかしこの時代は私にとってかなり平和な時だったと思い出します。
学校から帰ってきて、楽しくツラツラ適当に弾いていて(こういう練習方はダメなんだけれど)ふと振り向くと、隣に住むおばちゃんが庭に入ってきて、空いている部屋の窓のヘリに腰掛けて聞き入っています。
「いいわねえ、佳奈ちゃん、上手ねえ」なんて言われてご機嫌な午後です。
さて、ソナチネといえばもうひとつ思い出があります。
もうかなり昔の話です。
当時新しく生徒になった12歳のユダヤ人の女の子、教えはじめて数週間経った頃です。お母さんが彼女の12歳のユダヤの大きなお祝い「バル・ミツバー」のパーティで彼女にピアノを演奏させたい、と私に相談してきました。
しかし彼女はピアノを始めたばっかり。簡単な子供用のピアノの教本を一冊終えたばかりです。
お母さんは私に、いかにこのお祝いが重大なものであって、1000人以上(!!!)を招待するので絶対に成功させなければいけないと説明しました。(小さい結婚式より大規模・・・)
彼女曰く「モーツァルトを弾かせたいの。例えば、タラら〜タラら〜タラら〜、っていうのがいいわ!!!」というのですが、
「お母さん、それ、モーツァルトの交響曲40番でピアノの曲じゃないし、ダメだわ。これは?」
と言って、色々な曲を弾いて見せたのですが、お母さんはなかなか納得せず。
「このブルグミュラーって人の曲はみんな短すぎるし、なんかパッとしないから嫌だわ」(そんなあ・・・)
「じゃあこれは?」と言って、なんとか弾けそうなバッハの平均律の1番のプレリュードを弾くと、
「・・・・・・・私たちの祭典にはちょっと合わないわ。。。」(ごめんなさい、平均律の1番のプレリュードって「アヴェ・マリア」でした。(滝汗)
何気なくクーナウの1番のソナチネを私が弾くと、お母さんもお嬢ちゃんもいきなり食い付きました。
「絶対にこれがいい!!!」
しかし冷静に考えてもブルグミュラーもやってないのにいきなりソナチネかい、と思ったのですがよーく楽譜と睨めっこして熟考し、この子は頭が良いから出来るかも、と感じたので、「毎週、私の言ったことだけを完璧にやってきてくれるならやる?」と確認すると、「やる」という。「でも週に一回以上はピアノのレッスンに来れません。お勉強があるから」、とも・・・
バル・ミツバーまで数ヶ月あったので、計画を立て、曲をバラバラに分解し、毎週部分的に完璧を目指すべく、しかしストレスにならないように頑張りました。
本番1ヶ月前には、テンポで暗譜で強弱もつけて弾けるようになったので、私は密かにちょっとびっくり。こうやって教えると本当に出来上がるんだ、と改めて感心。
何があっても止まらない、どこからでも弾ける状態に仕上げ、レッスンのたびに入場からのコンサートごっこもします。度胸もつけなければなりません。初めて人前で演奏するのに、お客さん1000人以上って、考えただけでも恐ろしいです。(私、1000人の前でピアノを弾いたことなんてないです!!!)
本番は見事な大会場で堂々と演奏して大拍手。親御さんはそれはもう喜び、とても感謝してくださいました。良い思い出です。
でもね、実はこのお嬢ちゃん、本当に頭の良い子だったのです。
典型的なお勉強がかなりできて、ピアノの練習を勉強の箸休めのように楽しめる優秀な子です。ウィーンのリセ(フレンチ・スクール)を出てからはフランスのグラン・ゼコルに進学し、優秀な成績で卒業、今はイタリアの大企業でキャリア・ウーマンとしてバリバリ働いています。何もかも出来る人って世の中に存在するんですね。。。。
色々な想い出のあるソナチネ・アルバム、時々引っ張り出してきて弾くことがあります。
その曲ごとに色々なことを思い出すので、それもまた楽しいものです。
*こちらは内田光子さんの演奏でモーツァルトのソナタを聴く事ができます。とても可愛らしい素敵なモーツァルトです。(一曲目は私の持っているソナチネ・アルバムに掲載されていました。ソナタですけど・・・)