人に「教える」ということは、自分が成長できるありがたいチャンスである事を忘れないこと

ピアノとヴァイオリン

そのものずばり、お題通りです。
それがピアノやヴァイオリンでなくても同じです。

大昔の話です。私がサラリーマンだった頃、当時のある上司が、自分があるファイナンスの資格試験に合格する為、毎朝ミーティングで私達にレクチャーをしました。名目は、「会社で購入した教材を、私達社員にもお裾分けする」でしたが、本音は彼が人に教えることによって、その知識を自分に定着させるためでした。結果はもちろん、一発合格。

これは楽器についても同じことが言えます。
ふんぞりかえって、口だけで適当なことを言うような指導法ではダメですが、真剣に教えれば、かなり自分の向上につながります。

で、「真剣に」とはどういうことでしょう?
私が思うには、生徒の演奏を本当によく、穴が開くほど観察して、研究する。で、なんで「ダメ」なのかを熟考するのです。そしてその原因を見つけ、きちんと説明し、改善することができたなら、それは自分の演奏の改善にもつながるのです。

ある生徒さんは手と指のトラブルで悩んでいました。
痛めた原因はピアノではなく、仕事だったのですが、ピアノの練習がさらに手を痛める原因にならないよう、本気で考えます。

観察すると、例えば親指のくぐりの時に負担がかかっている。まずはそれを取り除くべく練習法を考えます。このフレーズは、スタカートでゆっくり、こうして、ああして、さらってみよう、みたいな感じです。これを計画的に進めていくのです。これは全ての人に有効な練習ではなく、その生徒さんだけのオートクチュールみたいな練習法を考えるのです。

それで数週間やってみて、上手くいくとそれはもう、本当に嬉しいものです。本人も喜んでくれるし、何いよりも上手くなる。最高です。

そしてその苦労が自分にも応用できるのです。
「私の場合はどうだろう?」と考えるきっかけになるのです。レヴェルは違っても、根本的なトラブルは同じだったりするものです。

人を教える、と言うのは生徒さんがいなければ成り立たないことなので、本当にありがたいことです。
良い加減に適当に教えていたら、こんな恩恵はないので、いつも真剣に取り組みたいな、と思う今日この頃です。