ピアノやヴァイオリン 子供が難曲を弾くことについてどう思うか 私見です

ピアノとヴァイオリン

お答えから言うと「弾けるなら弾くべきだと思う」が私の意見です。

しかし問題は、何をもって「弾ける」とするか、です。以下、全く私の意見です。多くの考えの教授や指導者の方々がいらっしゃいますが、ご参考になればと思って書きます。

ピアノで言えば、子供はいくら外人でも、12歳くらいまでは身体がちいさくて、手もミニサイズ。こうなると、どんなに技術が優れていても、物理的に例えばプロコフィエフの「戦争ソナタ」なんて弾けないだろうし、そう簡単になんでも弾ける、というふうにはなりません。

でもショパンのエチュードのop10の2番なんて、手が小さくても弾ける曲なので、実に軽やかに美音で、きちんとしたディナミクス(強弱)と共に、しかも本当に全体的に見事なプレストできちんと弾けているちびっ子は、今の時代、本当に沢山います。

モーツァルトやハイドンのピアノコンチェルトも同様です。

きちんとした指導を受け、熟成している子供ならば、物理的に可能なものはどんどんチャレンジするべきだと思います。

しかしながら、バリバリとただ速いだけの、乱暴なタッチの仕上がりだと、なんだかなあー、別にこの曲じゃなくても、と正直思います。

ヴァイオリンの場合は「分数ヴァイオリン」と言うものが存在するので、子供が嫌と言わずに従うのであれば、指導者と親、子供の努力で小学生でもチャイコフスキーのコンチェルトを全楽章弾くことも可能です。娘のブロン先生の所には、そういうちびっ子がごっそりいます。

幸か不幸か、今のヴァイオリン界はこういうことになっているので、正しい指導のもとでならば、もう、全然OK、弾いてください、と思っています。

ただ、私が危惧するのは、以下の場合です。

コンクールには大曲が有利、でっかい楽器が音がでかいので有利、という理由だけで、そこまで仕上がっていない子供に、実力以上の大曲を与えたり、身体に合っていないのに、サイズアップしたり、長い弓を選んでしまうことです。

例えば、想像してみてください。
全然音程のできない子供に、ラロのコンチェルトを弾かせる。まず審査員は、冒頭で椅子から崩れ落ちるでしょう。それだったら、アッコーライや他のコンチェルトを、きちんと正しく弾いた方が良いのです。

ただし、これはこちらの場合です。日本の事情を私は全く知らないので、どうなのでしょう?興味深いところです。完成度が低くても、曲が難しくないとコンクールとかダメなんでしょうか?

オーストリアの国内コンクールのプリマ・ラ・ムジカではその昔、「子供に難曲を弾かせない」というお約束がありました。それは理由が2つあって、そのひとつは「これが弾けるぞ、偉いだろう!」という「選曲コンクール」になってしまうことへの恐れと、そんなに練習する習慣のないオーストリア人の子供たち(本当にすみません)が、外国人を親にもつ子供たちと同等の舞台に立つことは無理になって、コンクールが成り立たなくなってしまうからです。

このコンクールは、ソリストを育てるものではなく、オーストリア国内の子供たちにクラシックファンを広める事が目的なので、その意図に反するわけです。

あー、話がそれました。すみません。

で、何が言いたいかというと、こちらでは完成度が求められると言うことです。

メンコンという略称で日本人に愛されるメンデルスゾーンのヴァイオイリンコンチェルトだって、あれはもう、音程がなければかなり聴く方はきついです。ブルッフのコンチェルトも同じです。

上記2曲は、譜面づらは簡単そうに見えますが、かなり真剣にやっている音大生でさえ「いやだなあ」と思うような曲です。だって、音程外して弾いたらもう、かなり目立つし、「下手ね」って判断されてしまう曲だからなのです。

またはバッハのソロソナタやパルティータ、モーツァルトのコンチェルトなんて音程の出来ない人に弾かせる人は、こちらではあまりみたことがありません。

子供に何を弾かせるか、というのも国によってかなり違うかもしれません。例えばうちの娘は子供時代、ラロのコンチェルトに行くまで、気の遠くなるほどの簡単なコンチェルトをたくさん弾きました。

世界のトップを行く、ちびっ子ヴァイオリニストは小学生でチャイコフスキのコンチェルトやイザイのソナタを全部弾いちゃって、20歳になった時は、いったい何の曲を弾くんだろう、と思うことはありますが、音程正しく、音楽的にも素晴らしく弾けるのであればどんどん弾けば良い、と私は思います。

それ以外の人は、コツコツマイペースで全く問題ないと思います。早く進むだけが音楽人生じゃありません。