コンサートの宣伝やネットで「○○の天才!現る!!!」みたいなものをよく目にすることがあります。これはもう、日本コピー世界のお約束なようなもので、故意に「大袈裟に、目を引くように」造られていて、はじめっから誰もこの人を「天才」だとは信じていない(と思いたい)のですが、番組などでそれらしく語られると、実際、「なんだろうなあ、この納得できない気持ち」と思います。
世界には確かに「天才」とか「神童」とよびたくなるような「上手に難しい曲を情熱的に弾く子供達」は山ほどいるのですが、その子達は生まれた時からパガニーニのカプリスやショパンのエチュードが弾けたわけではなく、その短い人生の中で、きちんとマネージメントできる親の元に生まれ、需要にマッチした指導者を用意してもらい、それに加え、その子は言われた通りにきちんと定期的に毎日練習出来る子、であった、というように思えます。
どんなに親が頑張っても、練習が絶対に嫌でやらない子もいるだろうし、良い指導者に恵まれなかったり、この「3つの歯車」が完璧にマッチする例は、側から考えるよりかなり稀です。
ある「上手な子」が私に
「僕は天才とか褒められることが嫌い。僕が上手いのは○○先生に教えてもらっているから。それと僕が毎日練習しているからだよ」
それに加えて「そのレッスン料を払える親御さんの元に生まれたからだね」なんですが、まあ子供はそこまでわからないから良いとして。。。。。
「天才」や「神童」だと「元から上手いから、出来て当たり前なんだね」というニュアンスがあって「僕の努力はどうなるわけ?」と子供ながらにムッときたそうです。
それでは、本当の「天才」とか「神童」はいるのでしょうか?
かなり昔の話、ある教授が私に、
「ハンス(仮名)の親が私に本当に、真面目に、冗談じゃなくて『先生、うちの息子は神童ですか?そう呼んでも支障がないくらい素晴らしいですよね!』って言ったのよ。いくらなんでも呆れたわ」
と言ったことがあったのですが(確かに子供の頃、彼は魅力的で普通に上手だったけれど、素人である親御さんにはこの世界のことはわからかったのでこの質問になったらしい)
「で先生、なんて答えたんですか?」と聞くと、
「保証するけれど、アンタの子供は天才でも神童でもない。普通に努力ができる、ちょっとカンの良い可愛い男の子。本当の天才は多分モーツァルトくらいだから、バカみたいに勘違いしないでちょうだい」だそうです。
さすが、「モーツァルト」かあ。。。。と思いました。
これだったらみんな納得しそうです。