今更だけれど、ピアノを弾いている時、それが切羽詰まった試験とかそういうものの前でない場合、リラックスして新しい曲やお気に入りの曲を弾いたりしている時、「ああ、ピアノが弾けてよかったなあ」とつくづく思います。
よく、子供にピアノを習わせたい親御さんが、「将来、ピアノで楽しめるように趣味で習わせたいんです。何も音大とかピアニストにならなくても良いんです」と良く言うけれど、「そんな簡単に楽しめるようにはならんわい」と心の中でいつも思います。
私なんて別に大ピアニストでもなんでもないけれど、若い頃は毎日かなりの量を練習したし、ピアノの練習のためにやらなかった事だって沢山あって、それを辛いとか悲しいとか全く思わないほどピアノが好きだったので、出来たのでしょうが、練習量のうえに今の「ピアノを楽しめる」状態があるのです。
すんごい現代曲や、10度の連続でもない限り、大抵のものなら練習したら弾けるし、これが私にとって「楽しめる」という事です。
それともうひとつの幸せのパターン。
それは「クラシック音楽が好きだ」と感じることが出来る才能(?)です。
私達のように音大を出たような人にとって「クラシック音楽は素敵!」という感情は普通のことですが、クラシックに興味がない、ショパンやモーツァルト、ベートヴェンなんかを聴いても何の魅力も感じない、なんて人、この世の中にはごっそりいるのです。
「モーツァルト、それ何?美味しいの?」って人だってたっくさんいるのです。私の親なんてその部類だったと思います。
今日、レッスンの時に大学生の生徒嬢が私に楽譜を持ってきて、「お願い!この曲を弾いて見せてくれる?」と言われて弾くと、それはもう大騒ぎ。
「なんて素晴らしいメロディーなの。本当にこの、ここの部分、モーツァルトがウィーンに住んでいた、っていうのがわかるわよね。高貴よね、ここのフレーズがまた素晴らしいわよね!」と叫びっぱなしです。「今のベートヴェンのソナタがある程度できたら、これ弾いてもいい?私に弾ける?」というので「全然大丈夫よ」と伝えると、狂気狂乱。喜んで飛び上がっていました。
この熱狂的なクラシックのピアノに対する愛情も才能です。
彼女は音大生でもなんでもない、普通のウィーン大学の法学部の学生ですが、弾きたい曲は後をたたず、お父さんが「本当にピアノばっかり弾いてるんです。」と嘆くほどです。
今日も、「週に一回の、この2時間のピアノのレッスンの時間がすごく好きなの!ありがとう」と言って帰っていきました。
彼女は本当に幸せだなあと思います。そういう気持ちって、誰でも持っているわけではないので、素晴らしい趣味が彼女の人生を幸せに満たしてくれると思います。
クラシック音楽に限らず、何か熱中できるモノを持っている人はみんな幸せだと思いますが、私はクラシックのピアノが仕事のできてよかったなあ、と今更ながら思います。