コロナ禍ではクラブハウスが最高に盛り上がり、クラブ「楽器を習う子の親の会」を開設し、多くの親御さんと楽しく盛り上がりました。
日本以外にも欧州、アメリカ在住の親御さんが来てくださって、とても国際的。子供に楽器を習わせている数人の親御さんは、ご自身も音楽大学出身です。
そしていくつかのアルアル話で大いに盛り上がりました。
その代表が、「当時、学校の『音楽の先生』に大変嫌われていた」です。
そんなのは私だけかと思っていたのですが、
「きゃ〜、私もです〜〜〜!!!」と次々と声が上がりました。
当時、エスカレーターの普通校(中学部・高等部)に通っていた私は、精神的年齢的にも非常に未熟で、自分のピアノ世界のみに傾倒し、かなり思い上がっていましたので、音楽の授業が大嫌いでした。
まず授業自体が非常につまらない。先生の歌声もピアノも超下手くそに感じるし、何よりも本当に授業に全く魅力がない。音楽大学を目指しているので、授業で習うことなんて全て当たり前に全部知っている。
「嬰ハ短調」とか「ヘ長調」なんて日本語の表現もダサく感じて「どうしてドイツ語で教えないの?そっちの方がどんなに早くて便利か知ってる?」などと思っていました。
かなり嫌な生徒だったと思います。
考えてみれば、学校の音楽の授業というものは文科省で決められた項目をこなす、という目的があるので私達、音大を希望する学生が憧れるものとは違うものなのですが、当時の若い燃えたぎる希望を持った音大志望生には理解しがたい事も多かったのです。
もちろん音楽の先生にかなり嫌われていたことも感じていましたが、それが何よ、と思っていました。
しかし、こんなことが「あるある」で存在するなんて驚くやら、各自、多くのことを思い出して、かなり盛り上がりました。
さんざん文句を言っていた子供時代ですが、数十年たって『音楽の都ウィーン』に来て知ったことがあります。
それは日本の義務教育における音楽の授業のレベルの高さです。
日本では小学生から「音楽の教科書」というものが存在し、子供たちは楽譜を見ながらドレミで歌います。合唱というものが存在し、二声や三声で歌ったりします。
ウィーンの公立学校での音楽の授業(学年によってはないところもある)はあってないようなもの、教師はピアノを弾けず、コーラスをやってもせいぜいユニゾン、日本のレベルとは比べ物にならないのです。
大人になって楽譜を読めないオーストリア人はたくさんいます。
日本の義務教育における音楽の授業はとてもありがたいものなのです。
あ、ちなみに私は小学生の時は音楽の先生も授業も大好きでした。