幸せか不幸かは自分の考え方次第だと思うおはなし

ピアノとヴァイオリン

今日は、ある人の発言を聞いて、やたらに腑に落ちたのでその件について書いてみます。

簡単に書くと、その人は、いつも自分が「幸せだ〜」と思って毎日暮らしているそうです。
そして、何か嫌なことが起きた時に、「自分の人生は今まで嫌なことはたくさん起きてきたけれど、それを経験したから、自分は『今、とっても幸せだ!』と感じることができるので、今回の嫌なことも、のちに『幸せだ〜』と思えるために必要なものなのかもね」と思うと、嫌なことも、格別『嫌だ』とか思ったりしないそうです。

私もここ数年、この傾向があることに感じました。

若い頃、日本に住んでいた時は、「親が金持ちだったらなあ」とか「親が音楽家だったらよかったのに」とか不満が山ほどありました。こちらに来ても、いざ、子供が楽器をはじめてみると、「お金持ちの親を持った子は、自分の習いたい有名教授に習えて、しかも週に何回もレッスンをもらって幸せよね」とか「権力者の子女だから、〇〇でも賞を取れて良いなあ」とか、よく思ったものです。

しかし今、もちろん現在のコンクールの結果などをみると「取れてよかったわね」くらいは思うけれど「ふーん」、くらいにしか感じなくなりました。特に羨ましいとも、なんとも感じないのです。

なんでだろう、と考えてみると「今の状態が結構、幸せだから」です。
ムスメは尊敬する大好きな先生の元で日々学び、毎日の生活を「幸せ」に暮らしている。完成した状態(そんなのあるのかいとも思うけど)ではないけれど、向上を目指して、夢を追って幸せにしている。

息子だって、一流弁護士でもなんでもないけれど、目指すものがあって楽しく暮らしている。

2人とも住むところがあって、自分なりに美味しいものを食べて、なんらかの目的があって幸せに頑張っている。とどのつまり、愛する人が幸せに暮らしていることが、私の幸せなのだと思うのです。

そして私自身も、好きな時に働いて、好きな生徒さんだけにレッスンをして、収入は別にしてもかなり恵まれた毎日だと思っています。だって、人間、上をみたら本当にキリがないです。

同じ環境であっても、もっと言えば私より最高に素晴らしい環境、例えばお金もあって、目に見える大成功をしていても『自分が不幸』と考える人はいると思います。要は人間、自分の考え方次第で不幸にも幸せにもなれるということです。たかが人生数十年、楽しい方がいいと思いませんか?