練習の仕方なんて、やって見せてもらわなければ簡単にわかる物ではない、教師が手取り足取りぐらい細かく教えてはじめてわかるし、そうしたら上達するという話

ピアノとヴァイオリン

私の昔の教授のように「はい、次やってきてね〜」なんていうのはもってのほかでレッスン料泥棒だと思うのですが、対象が趣味の生徒であれ大人であれ子供であれ、専門希望であれ、基本的には皆おなじ、教師は生徒に「どうやって練習するのか」を正しく教えなければ、生徒は上手くならない、という当たり前のお話です。

「どういうふうに練習するべき」と、実際に教師が弾いてみせ、それを学生に弾かせて正しいかをチェックする。こんな当たり前のこと(というのは簡単だけれれど)ですが、それが音大教授だろうが、街のピアノの先生であろうが、出来ている人にあたった生徒さんは大ラッキーです。

なぜなら、できる人とできない人にはっきりと別れるからです。

以前、「大人の生徒さんには多くを要求してはいけない暗黙の了解」のお話をしましたが、それは人によっては、「ああ、めんどくさいこと言わないで〜!ただ楽しくYouTuberの人がやってるみたいなステキな曲を弾きたいだけなのよ!」という人も居るからだと思います。そういう人はその欲求を満たしてくれるような、どんぴしゃりの先生のところに行けば良いのですが、違う人もいます。

今日、レッスンした大人の生徒さんとワークして、「あ〜あ、幾つになっても、きちんと教えて、相手にやる気があったら伸びるんだなあ」と思いました。もちろん彼女がチャイコフスキー国際コンクールに出られるほど上手くなるわけは絶対にないのですが、それなりにかなり上手になるのだろうなという手応えがあります。

可愛いモーツァルトのソナタですが、一緒にはじめからどういうふうに手をつけて、どういう練習をするかを一緒にワークします。かなり細かいです。なので、「細かくて嫌だったら無理しないで言ってくださいね」と何回も確認はするのですが、しっかりついてきてくれます。で、本当に目に見えて弾けるようになってくる。

これが普通の、当たり前の当然のワークなんだと今更ながら実感しました。ある程度になったら、自分でワークすることも必要ですが、その前の段階で「やってきてね」はだめです。

レッスン来てくれて、帰る時は確実に何かを得て、上手くなって帰ってくれる。趣味であっても、専門であれば尚更、これが本当のレッスンだと思います。