ピアノやヴァイオリン、天才とか神童って本当にいるの?

ピアノとヴァイオリン

今日の写真の、この人のことなら、天才とか神童と言っても良いかもしれませんが、私の考えではこの現代、天才なんてものはいないと思っています。

そして、私が今まで出会った巨匠クラスの教授たちの口から、「○○は天才だ」とか「神童だ」という言葉を聞いたことも一切ありません。彼らはそんな言葉を軽々しく言いません。この天才とか神童という言葉を喜んでに口にするのは、メディアか、全く音楽に素人な人達か、もしくは「本当の素晴らしい教育者」を見た事のない経験の浅い教師たちです。

ある、ヴァイオリンの若手の先生が「このジュニアコンクールは特別に才能のある子供だけ参加するのよ」というのを聞いたことがあります。この人は、自分の生徒が上手くないことを、その子の「才能」のせいにして、自分の指導力の弱さを見ない、そういう気の毒な先生なのね、と思いました。残念ながら、こういうことを言う人は結構います。「この子は才能がないのよ」的な。。。。
才能のない子なんていません。ただ、ピアノやヴァイオリンに興味がないだけです。興味がなかったら、当たり前ですが伸びません。

私は多くの素晴らしい演奏家を見てきました。その、子供の時の過程もたくさん見てきました。感動的演奏をして、技術も巧みな素晴らしい人たちです。でもその人たちの誰のことも、私は「天才」だとか「神童」だと思ったことがありません。

なぜなら、そんな人たちは子供の頃から、どのような教師について、どのような環境で、どのような練習方法で育っていくかを知っているからです。教授連と親と、そして子供の努力から素晴らしい演奏家は生まれのです。かなり上手くなれる人は、その条件が全て揃い、そしてなおかつ、ちょっと器用だったり音楽的だったりするだけなのです。極端な話、どんなに鈍臭い、勘の悪い子供でも、指導者が超一流で環境が整えば、かなり上手くなるものです。

「天才」という言葉は、チケットを売るためやコマーシャルのために簡単に使われるのですが、私にそれは、褒め言葉ではなく、その人や指導者の努力を無視するものに思えて、本当に好きではありません。

娘のはじめのロシア人の先生は、「天才や神童なんているもんですか。あえていうならモーツァルトぐらいよ、神童は。それ以外はみんな、おーんなじ!」と言っていた言葉を思い出します。(私はこの先生こそ、子供を教える天才だと思っていますが)

まあ、モーツァルトなら「天才」でも「神童」でもいいや、と思います。