いくらピアノの練習をしても上手くならないのはなぜ?の後日談 音大入試後

ピアノとヴァイオリン

まず初めに、お礼を述べたいと思います。
昨日のこちらの記事はとても多くの方に読んでいただきました。

TwitterやDMにたくさんのコメントをいただきました。ご自分の体験と重ね合わせ、涙を流してくださった方もいらして、たくさんの方のピアノ子供時代歴史を垣間見させていただいて感謝しています。

タイムマシンに乗って、当時の自分のところに行けるのであれば、
「勇気を出して、自分のやりたいことをこの人に話してごらんよ!」とか、「迷ってちゃダメだよ。言いなよ!」等、助言できるのですが、ドラえもんにでも頼まない限り、そんなことは残念ながらできません。

ただひとつ言えることは、過去は残念ながら変えられない、ということです。

こんなに辛いことがあったけれど、だからそれが何かに結びついて、結局は良い方向に行った、というふうに考えたいと思います。

私の場合で言えば、私が万が一、子供の時の夢が叶って世界をまたにかけるピアニストになっていたならば(笑)私の子供たちは絶対に生まれていません。今は彼らとは楽しい人生を送っているのでOKとしましょう。

さてさて、昨日の話の後日談があります。

新しい先生に変わったのですが、諸事情で、残念ながら志望音大は同じ大学。
裏の手で(笑えますが)調べたところ、どうやら私のピアノの試験のお部屋に、前に師事したその教授先生がいらっしゃるらしい。
受験前にご挨拶に行くのは、危険です。ご機嫌を損ねられたら、何が起こるか目にみえています。

当時の先生が「佳奈ちゃん、変装しかないわ!」とおっしゃり、熟考の結果、長かった髪をバッサリ切って、コンタクトを眼鏡に変え、受験することにしました。なんとか合格。

その後、やはりケジメをつけなければいけない、ということで母とその教授先生のところにご挨拶にお伺いしました。母がおそるおそる、

「手を壊し、ピアノを諦めるべく、先生の元も離れてしまっていたのですが、やはり諦めきれないということで受験いたしました。そうしたら、以前の先生のご指導の賜物でしょうか?偶然にも合格してしまいましたので、お礼におうかがいした次第です。本当に先生、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました」

徹夜で暗記したであろう、このフレーズをしっかり発言した母の顔は緊張でもう真っ青。
「ふん、知らないわ!!!失礼ね!!!」
と言われても当然です。しかしこの教授先生、かなりどっしりとしておられ、

「あ〜らいやだ、受験番号何番だったの?前もっていってくれればよかったのに?あら?○○番?アタシその部屋にいたわよ。ぜーんぜん気がつかなかったわ!やあねえ!!」

で無事に終了しました。

「でもこんなにギリギリになったら私のクラスに取れないわよ、困ったわねえ」

とおっしゃるので「もう滅相もない、これ以上先生のご迷惑をおかけする事はできません!どんな先生でももう、ありがたくお受けいたします」とひたすら頭を下げ続けました。

もちろん菓子折りに謝礼1本をお渡ししました。一般の方には理解し難いと思いますが、これは、私の周りの、当時の音楽大学合格後のマストでした。(今はどうか知りませんが)

この一連の話を欧米人に言うと、全く信じられないと驚いたり呆れられたりするのですが、日本ではいかなる事情があろうとも、筋は通さなければいけません。この、教授先生には罪はありません。その先生のところに習いに行った私たちの間違えですから。

しかしまあ、その日の様子は何十年たった今も鮮明に思い出すことができるので私も緊張マックスだったのでしょう。まさか変装して入試を受けるとは思ってもみませんでした。

その後は母が亡くなったりして、ウィーンに飛び立つことになるのですが、なんともめちゃめちゃな10代後半でありました。。。。