思い起こせばもう数十年前、私は子供時代になんてまあ、沢山の好きでもない曲を弾いていたんだろうと思います。当時の日本では、ピアノの先生に「この曲は嫌いです。やりたくない」なんて口が裂けても言えません。与えられたものを、「やらなければいけないものだ」と信じ、でも心では「嫌な曲」と思いながら、それでも暗譜して仕上げたものです。チェルニーなんて、私は大好きだったので嬉々として30番、40番、50番etcと全部やったのですが、嫌いな人にとってはさぞ地獄だったことでしょう。
こっちの子供達は、趣味だろうが専門だろうが、ある程度は自分の意思をはっきり言うので、それは羨ましいことだと思います。
私は自分の経験があるので、趣味の人に対しては「曲」に関しては数曲選び、その中から選んでもらうようにしています。
しかし専門や音大に行く人は別です。「この曲はやりたくないわ〜」とかありえません。
昔、ムスメが7歳くらいの頃、曲は喜んでやるのですが、エチュードが大嫌いで本当に練習しませんでした。で、当時のロシア人の先生が言ったことが良い。
「マリア、エチュードはお野菜だと思いなさい。曲はメインディッシュで小品はデザートかな?どれもバランスよく取らないと虚デブになったり、痩せすぎたり、健康にもよくないんだよ。だから、エチュードでビタミンを摂らないとダメなんです」
いつもダイエットをしている私はw、「先生、ナイス!」と思って聞いていました。当時の娘はどれほど理解したかわかりませんが、そう言うことです。
音大に行こうとか、それ以上、これで食べていこうなんて思う場合は「好きなものだけ」なんて言ってはいられません。どれも満遍なく、練習して仕上げなければならないのです。
あるマスタークラスで2人のヴァイオリン教授と一緒に食事した時の話です。
中年のフランス人教授Aが、
「私、こうやってマスタークラスで教えてるけれど、学生の時パガニーニのカプリス、5曲くらいしか弾かなかったわ。嫌いでね」というと、ご高齢の教授Bが、「僕なんて3曲も弾いてませんよ。でも教えられるもんです」
というのを聞いて、本当に目が点になりました。さすが、こっちの人って自分が嫌だと思うとやらないのね!と思ったものです。
しかし思い起こせば、私が日本にいた頃、当時は全然魅力に感じなかった(今は違う)バッハの平均律、私は良くもまあ、ほぼ全部暗譜したと思います。特に好きでなくても、それどころか「あ〜、やりたくない!」と思っても先生に言われれば一応やってしまうので、本当に環境が与える力は大きいですね。
ピアノでもヴァイオリンでも好きなものばかり弾いて(練習して)いたら残念というお話です。どんな曲でも、挑戦し続けることで成長し、新たな可能性を見つけることができるのかもしれません。やりたくないと思う曲にも、少しの時間を割いてみることは大切です。そうすることで、自分の音楽的な幅も広がり、より豊かな表現ができるようになるでしょう。