他人を変えることはできないのだから、自分が行動を起こそう、というお話 「語学」を例にあげると

ピアノとヴァイオリン

別に音楽と関係ないかもしれませんが、今日のお題は「他人を変えることはできないのだから、自分が行動を起こそう」という話です。

ムスメがカザフスタンのコンクールに参加して、賞は頂いたものの、その他の面で大変だったお話はこちらに書きました。

英語が特に得意でもない日本から来る私がいうのもなんですが、国やその地方によって全く英語の通じない地域って本当に存在するのです。ムスメが幼少の頃、イタリアの田舎のコンクールに当時の門下生達数人で参加したのですが、その地方では本当に英語が通じなくて、かなりショックだったことを思い出します。どんな日本人だって、ワン・ツー・スリーくらいは知っていると思うのですが、その地ではアイスを1個買うことも大困難でした。もう、想像をしていなかったので、父兄全員、途方に暮れたことを思い出します。言葉が通じないと言うことは、赤ちゃんと同じなのです。

娘が滞在したアスタナも、ホテルのコンセルジュの女性以外は、レストランの人も英語は全くダメ。ショックな事に、空港でもタクシーでも殆ど英語が通じなかったそうです。飛行機の緊急事態が起きて、乗り換える様子なのに、「どこで乗り換えるの?」と言っても誰も英語ができない。みんなヘラヘラと「イエス〜」とか言うだけ。これはもう、安全面に多く影響してくるので、本当に心細くなります。

で、「全く、英語も話せないなんて、なんて事なの!」と怒るより、「自分が現地の言葉を学べよ!」という事です。
もちろん、カザフスタンの言葉は習ってもその後使うことは100%ないでしょうが、ロシア語であれば、英語よりは通じるはずです。出発前に時間があるのなら、最低限、学んでおこう、ということです。他人ができないなら、自分がやろう、と切り替えることは大切です。

「英語も話せないなんて、なんて民度!」と愚痴を言うのは簡単ですが、事態は好転しません。文句を言う前に「あんたが学べや」です。

で、遅いのですが、私はロシア語に火がついてアプリで習い始めたらこれがまあ、面白い!キリル文字は暗号みたいだけれど、読める単語が現れると楽しいし、いやあ、いい趣味を見つけたわと思っています。

大体、ヴァイオリンでもピアノでもロシアンシューレが身近にあるのに、どうしてロシア語ができなくて深く学べるんだ!と当たり前の事に気がついた事もあります。

災いは転じて良い結果を表すことがあります。楽しんで学べれば尚更よろしい、というお話でした。