コンクールに人生をかけては絶対にいけない、という件について。「コンクール」は「コンクール」だということ

コンクール

さて、コンクールについて書きますが、前もって書き添えさせてください。これから私が書くのは「欧州の私の見たいくつかの国際コンクール」のお話です。「日本のコンクール」については、私は一歳関わったこともないし、何も知らないので、以下、私の書くことは全く日本には該当しないことを、はじめにお伝えしておきます。なので反応しないでください。私の知る、「弦楽器」の名のある国際コンクールの数々のお話です。ピアノでもありませんので、よろしくお願いいたします。

さて、あるコンクールを目指し、一生懸命に年数をかけて準備をし、努力するのはソリストを目指す人達にとって、ごく当たり前のことです。多くの人が同じように頑張って挑みます。しかし、予選の、その前のテープ審査や書類審査で、明らかにレベル超えているのに落とされることもあります。

そしてその逆に「なんでこれが?」という演奏が平気で入っている場合があります。今はライブがあるので、オンラインで見てみれば、わかる人には手に取るようにわかります。(残念ながら、わからない人が圧倒的、と言われるのが、この悲しいクラシックの世界)

さて、どうしてそんなことが起きるのでしょう?それを、例えばこちらの審査員の教授達に聞いてみましょう。みなさん、口を揃えて答えます。「それは、コンクールだから」なのです。

コンクールとはどのように運用されているか知っていますか?(以下省略)
私は実際に国際コンクールを運営している人、コンクール審査員を務めた教授に、「どうして『そのような事』が起こるのか?」と聞くと、みんな大人なので、ナイーヴなことは言いません。

「コンクールだからね」という答えが100%返ってきます。(本当に下手な場合は別、落ちるべくして落ちるので、そういうのは除外)
娘の担当教授は、彼女がある国際コンクールの書類選考に通った時言いました。「おめでとうというべきかどうか悩むな。ぼぼ100%嫌な目にあって終わるよ」と。娘曰く、「わかってるからOK。これは私のトレーニングなの」

数年前、某国際コンクールで、1次審査に残った人たちが発表されたその場に私もいました。その主催者の挨拶がコレ。。。。。

「残念ながら次のラウンドに行けなかった皆さん、がっかりしないでください!みんな上手でした。この結果を重く受け止めないでください!わかりますか?みなさん、これは、これは、コンクールなんです!!!だから運もあるし、コレはコンクールなんです!!!明日からまた、練習に励んでください。あなた達は全員上手でした!審査員の批評を聞きたい人はどうぞ、別室に移動してください〜」

かなり上手だけれど次のラウンドに行けなかった知人の学生が、
「なんか、ここまではっきり言われると言葉もないわ。涙も出ない。」と苦笑いしていました。もちろん、本当に下手で落ちた人もいます。その部類の人達はコンクール云々で文句を言う前に、練習しなければいけませんが。。。。(そこらへんは自分で自分の能力を見極める力も必要)

だから、コンクールで明らかに実力があるのに残らなかった場合、もし、多くの著名な教授が、既にあなたの実力を認めている場合は嘆く必要はありません。それは本人達もわかっているはずです。今までの努力や存在を否定された気分になるのもわかります。でも、難しいですが、振り返ってはいけません。忘れるしかないのです。

次のラウンドに行けなかった人は、審査員の批評を聞くことができますが、批評を聞きにいくのも良し悪しでケース・バイ・ケースです。明らかに結果がおかしい、と思える場合は、聞きに行っても微妙です。

私の知人は審査員をよくしますが、挑戦者に「なぜ落ちたか」を納得させるため(それが仕事だと言っていた)できるだけ多くの悪かった点を書き出し(現に1人につきA4用紙に3枚くらい書いてた)できるだけ、納得される(=文句を言わせない)そうなので、行かないのもアリかもしれません。でも最後には「私はあなたの演奏が好きよ」というのが良いそうです。やれやれ。

(ご参考までですが、こちらの多くのコンクールは、日本のように批評を紙面に残しません。口頭で伝えるのみです。)

そして審査員によって、真逆のダメ出しをされることもアルアルです。

が子供の頃に受けた、某国のちょっと有名なコンクールで、英国のある審査員は「う〜ん、バッハも良かったね。ガボットの装飾はすごく気に入ったよ。パガニーニも良かったし、現代曲もすごく良い感じに仕上がってて、僕としてはなんの問題もなかったよ」と言われ、娘が、「じゃあ、どうして私は次のラウンドに行けなかったのですか?」との質問に「それはコンクールだからだよ。僕の教える大学のフレップに来たかったら、門下に取るよ」と言われ、「はあ。。。」でおしまい。

実際、コンクールでジュリーの教える大学に留学し、門下に入る人も多いので、出会いの場であることも事実です。だから「結果」で痛い目にあっても、良い教授と知り合えてラッキー、ということも沢山あります。これはコンクールの良いところです。

運もあります。賞レースで裏方が大喧嘩になっている時に、ひょっこり入り込めた、とかそういうことも起きます。こればかりは本当にわからないのです。

何が言いたいかというと、コンクールは結果が出なかったから人生をやめよう、とか、ヴァイオリンをやめようとか、ピアノをやめようとか、そういうような決断を下すようなものではない、ということです。

自分にはコンクールには縁がない、と思ったらコンクールにチャレンジするのをやめるのもよし、練習のためにチャレンジするのもよし、でも結果が出なかった時は諦める力も持ちましょう。

わかります。数日、ずっと泣くんですよね。悔しいですよね。でも、現実はこんなものです。コンクールは断じて、人生をかけるようなものではありません。強く明日を目指しましょう。