私の忍耐の切れる時。世の中には自分と違う人が思いのほか居るものだという話と、避ける方法

ピアノとヴァイオリン

類は友を呼ぶとは良く言ったもので「愚痴ばっかり言っている人」には同じような人が集まるし「人様を僻んでばっかりいる人」の周りには同じような人が集まります。

だから、そんな悪いオーラを持った人たちを近くに来させないためには、まず自分がそう言う人間にならない努力をしなければならず、それは私も日頃から心がけているのですが、自分の力ではどうにもならない時も出てきます。

避けられない人間関係。

例えば会社で上司になる人、学校の先生、仕事関係でどうしても関わらなければいけない、そんな人達です。
ピアノの生徒さんや親御さんは違います。だってお互いに選べるもの。だから私は生徒さんや親御さんの愚痴はないのです。だって、自分で選んだし、あちらも選んでくださったのだもの。
大満足です。

さて、話を戻します。

上司や同僚が嫌なやつだからと言って会社をかえてばっかりなんて無理だし、学校の先生が頭のおかしい変人だとしても、転校を繰り返すわけにはいきません。もうね、そういう時はどうしたら良いのでしょうか。

大人になってから身につけた技ですが、私の場合は諦めて、こちらから8割がた譲歩する感じです。
若い頃は睨みつけて、バイトでも何でもさっさと辞めていました。それで充分生活はできていたし、裕福だったのでしょうね、バブルの昭和、それなりに。
歳をとってからは、「くそ」と思っても愛想よく挨拶するとか、こちらから話しかけるなどが平気でできるようになりました。

しかしまあ、もっとも困るのは「反応のない人」かもしれません。
必要な用があってメールをしているのに、何週間も返答がない、これはもう、目前のモノはさっさと片付けたいタイプの私にとっては想像を絶する物体です。
なんで、大事なメールに返信ができない?今現代、ケータイをバカでも持つ時代にコールバックできない、もう耐えられません。

あと、何回注意しても、それを治すことができない人。
開けたら開けっぱなし、やったらやりっぱなし、の人です。同僚だと最悪です。でもこれはもう、諦めしかないです。30歳を過ぎた大人は、やろうと思ってももうダメなのかもしれません。
自分でやるか、もしくはその人と離れるために手を尽くすしかないのです。

今日はなんでこんな事を書いているかというと、珍しく上記のような人が数人私の周りに出没し、げんなりしているからです。

しかし書いたように「類は友を呼ぶ」
そういう時は自分の波長も落ちているのでしょう。上げるべく、明日からまた精進でございます。