「天才」や「神童」より現実的な表現は「本物」とか「プロフェッショナル」という普通の表現だということ

ピアノとヴァイオリン

その昔、『うちの息子は「天才」なんです』とあっちこっちで発言して、周りの人の目を点にした親御さんがいましたが、娘の昔の教授に言わせると「天才なんてモーツァルトぐらいよ。バカじゃない?」
そんなものです。

クラシックを専門に学んだことのない人ほど、「天才」という言葉を簡単に、気軽に口にしますが、実際、そんなものごろごろいるわけではありません。チケットを売るための殺し文句だと思って間違えないでしょう。私は音楽大学を出て、この道にくわしい、といえども、例えば誰かの打楽器や管楽器の演奏を聴いて、「これを普通か天才か答えよ」なんて言われたって、わかんないもの。

「よくわかんないけど、まあ上手いんじゃないの?」とか「下手?」くらいしか答えられません。だって専門外なんだもの。「なんか感動するわ」なんてアマチュア的な答えは出てきません。

だから、普通のクラシックファンに、天才かなんて、そんなことわかるわけがない、と思うのですよ。

さて、それでは「ああ、すごいな」と思う演奏家に対し、その道をきちんと学んだ、ある程度のレヴェルの専門家たちは、なんと表現するのでしょう?付け加えると、これは日本ではありません。外国での場合です。日本ではきっと「天才」とか口から出ると思います。

私がよく耳にするのは、「彼女は本物よ」とか「プロフェッショナルよ」という言葉です。

例えば、娘の音大(ウィーンではない)に、あるピアニストがいるのですが、彼女のことをみんな、「ああ、あれは本物よ。とてもプロフェッショナル」といいます。

具体的にどうかというと、小さい頃からロシア人の優秀な教授に習い、もちろん親もサポートし、本人もかなりの練習量を積んで叩き上げた、ということです。コンクールの賞歴も多いし、多分日本でもショパンコンクールなんかでファンがついたことでしょう。

「昨日までコンサートでアジアにいたのに、マドリードに帰ってきてご飯も食べずに数時間練習、で、今は隣の部屋で友達のところに泊まってるけど、明日はメキシコに飛ぶんだよ。クレイジーだけど本物ね。」

みたいな感じです。

ただ違う世界、私のよく知らない世界。数学だ将棋だチェスだ、なんていうと「天才」という部類は存在する気がします。楽器においては私はいないと思っています。感覚が良い、飲み込みが早い、器用、練習量が多い、良い指導者がいる、で本物になれるのでしょうが、モーツァルトみたいな本当の天才がゴロゴロいたら、この世の中、大変な事になっちゃいます。