今日は「趣味」ではなく、「専門」における、マスタークラスなどでのお話です。
私がマスタークラスなどの通訳をして毎回見る光景で、本当に不思議だと思うことがあります。それは、レッスンで教授が日本人の学生さんに沢山の指導をすると、その多くの学生さんが、
「あ〜〜〜!!!こんなにダメ出しをされてショック!」と激しく落ち込むことです。一方、何回か通して弾いただけのレクチャーで、大した指導もなしに「大変美しく弾けています」なんて言われると、嬉しそうに帰っていきます。
あるロシア人の女性は、マスタークラスでベートーヴェンのソナタを弾いていたのですが、「教授、あとここはどう思います?2回目はフォルテでいいと思いますか?それとここも、この指使いは?ここは?」
とかなり粘り強く質問していました。最後は教授が根負けして「本当に申し訳ないけれど、次があるので今日はここまで!」と逃げていました。
ある韓国人の女性は、コンチェルト全楽章を演奏し、教授が具体的な指導をせず、「素晴らしい演奏で感心しましたよ。ところで2楽章のここのフレーズは何色だと思いますか?」
みたいなレッスンを受け、レッスン後私に、
「この教授の講習会は2度と受けないわ。お金を貯めてきたのに、褒めるか抽象的なことばっかり言っちゃって、なんにも習えなかった!最低!!」とガッガリしていました。
この違い、わかるでしょうか?
日本人のダメ出しされて凹む学生さんは、お金を払って「褒められた名誉の思い出作り」を持ち帰りたかったのかもしれません。帰国して、みんなに「外国の先生のお褒めをいただいた」と報告したい気持ちはわかります。「上手くなりたい」と言う気持ちは二の次、もしくは自分はもう充分上手、と思っているのかもしれません。きっと海外に来るなんてこれが最後なのかもしれません。一方、ロシア人やこの韓国人は「上達するために習いに来た」のです。もっと勉強しようという「次の予定」があるのです。思い出作りではありません。現実です。
受講生は皆、お金を払ってマスタークラスや講習会に参加しているのです。
これは褒められにきているのではなく、お金を払って、その教授の指導を購入しに来ているのです。だから、「良く弾けてます」で終わってしまった場合は、普通、多くの学生は不満に思うのです。どんなに弾けていても、指導やアドヴァイスするところは山積みにあって、それができる人がマスタークラスで教えているのですから。
何が言いたいかというと、マスタークラスに来て指導されることは、日本語で言う「ダメ出し」ではなく、「指導」と思いましょう、と言うことです。
外国のマスタークラスに参加する本来の目的は「褒められる」ことではなく「習う」ことなのです。
例えば「暗譜もしていない曲を持ってくるなんて」とか言われるのは恥ずかしいですが、内容の指導をしてくれるのは当たり前のことなので、落ち込むことでは決してありません。
初めての教授のレッスンで褒められればそれは嬉しいですが、その事ばかりに気を取られず、あくまで自然体、必要以上に構えず、意欲的にレッスンにのぞみましょう。
そうしたら教授もやる気が出るし、相乗効果が働いて実のあるレッスンになる可能性は大きいです。自信を持って、頑張りましょう!