「パクられるのが不愉快」という事実と「人に与える」ということが出来る人とできない人の話

オーストリア・ウィーン情報

若い人たちでインスタなどをやっていて、よく出る話が「パクられた、悔しい!」
やっぱり嫌なのが、コンテンツを真似されることのようです。

いつのまにか自分の作り出したコンテンツがそっくりパクられて、あたかもオリジナルのように発表される。それが友人だった場合はかなり不愉快なようです。

そんな被害者の人たちの声を聞き、気の毒になあと思いつつ、しかしながら私が素直に思うのは「別にパクられてもいいじゃない」ということです。

例えパクったとしても、その人が(例えば)演奏がもともと超下手くそだったり、センスがなかったら、やっぱりその後は伸びません。その時のポスティングは沢山「イイね」がついたとしても、長期スパンで見ると、絶対コケてしまうものなのです。

自分がポスティングした内容を、第三者が、まるで自分が編み出したかのような投稿をしたとしても、それが広がる事態は最終的には世の中の為になる、良いことだと思います。
それで、幸せになる読み手が増えるわけですから。

ちょっとイイな、と思ったものを第三者が表面的に真似したとしても、実際のところは後が続かないものです。オリジナルに考えた人は、具体例も出せるし、その臨場感はまねっこした人とは比べ物になりません。だから全然気にする必要など無いのです。

大体、自分が良いな、と思ったことがこの世に広がることは素晴らしいことです。それでこれこそwin-winの関係が成り立つのであって「この情報は素晴らしいから、私だけのものにしよう!」と思う人はウツワが小さい、それこそ小皿人間で大したものにはならない気がします。

SNSをやるのであれば、細かいことは気に留めないことです。
周りが何を真似しようが、Going my way。自分なりに楽しめば良い、と私はいつも思います。