ピアノでもなんでも「努力」って何? すれば公平にみんなに還元される? いいえ、大切なのは「タイミング」

ピアノとヴァイオリン

「努力」とはどの世界でも耳にする言葉ですが、音楽なんてやっていると特に、聞く機会が多くなる気がします。

「あんなにたくさん練習したのに入試に落ちた!」「あんなに努力したのにコンクールに落ちた」みたいな感じです。子供の頃は誰でも「努力は報われる」と信じます。思春期になると多くの情報も入ってくるし、それなりに現実も見えて来る。「報われるのかなあ?」と疑いだし、大人になると「世の中不公平、報われないことがあっても当たり前」と理解できるようになります。

「努力」と言っても色々あって、勘違いの方向に頑張っている場合は、成果がついてこないものです。
音楽で言えば、経験も実績もない教師の元で、間違った練習法を毎日数時間費やしても上手くならない=入試に受からない、などです。これは残念ですが当たり前。

一方、素晴らしい教授に師事して実際に上手なのに、コンクールで落とされる。こういう場合は、タイミングが悪かった、ということになります。その時の組織の流れが、他所に集中している、ということです。詳細書かないけど。

数十年前、ある大企業勤務だったのに、リストラされた優秀なビジネスマンが言っていました。
「Mr.○○はろくに実力も実績もないのに、経費は使いまくり、さっさとリタイアして、高額な企業年金ももらって最高だよね。」という話になったのですが、彼曰く、

「結局、人生はタイミングなんだよ。僕は彼より学歴も高いし実績もあるけれど、彼はバブルの最後の成功者で、僕はリーマン後のバット・タイミングで金融に入っちゃったんだ。本当に人生はタイミングだと思うよ。」

そうか、結局は「運」?

もちろん上記の可哀想な音大志望者のように、間違った先生に師事しちゃった、なんていうのは自己責任ですが、努力が実らない・タイミングの悪い人、というのは世界にたくさん存在します。だから「努力」と言っても、違う手で(力ずくで)の「タイミング」をゲットしようとする人が多いのが、現代かもしれません。

で、何が言いたいのかというと、子供のように「頑張ったのに〜」で泣いていてはダメだという事です。どうして自分の「努力」が上手くいかなかったのか、それがただ単に「タイミング」の問題であった場合は、悩む必要がない、という事です。いつか自分にも「良いタイミング」が訪れる時が来るかもしれないので、それを待つのもよし。。。
正しい「努力」で実際に自分が成長している、と思える「成果」があるのであれば、あとはタイミングを待つ、という心の余裕もあると良いかもしれません。