*写真はブロン先生の所でいつも弾いてくださる、素晴らしいピアニストのイリーナ先生。もう彼女演奏するのヴァイオリンとピアノのためのブラームスのソナタなんて超絶品です*
日本では「伴奏」という言葉を頻繁に使います。この機会にちょっと触れてみたいと思いました。
「ピアノ伴奏」と聞くと何を想像しますか?例えば、学校の授業で音楽の先生が弾いてくださる、合唱のピアノ伴奏。そう、あれです。でも、例えばベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタというものがあります。あれって、ピアノのやくわりは「伴奏」ですか?
私は声を大にして言いたい、「違います〜!!!」
伴奏とはなんでしょう?
精選版 日本国語大辞典「伴奏」の解説によると、「 音楽で、歌や主となる楽器の演奏を支え、引きたてるために、主となる演奏に合わせて他の楽器を演奏すること。 また、その演奏。」とあります。
ベートーヴェンやモーツァルト、その他の作曲家は、ヴァイオリンやチェロのソナタを「主となるヴァイオリンやチェロを引き立てるためにピアノのパートを作曲したわけではないのです。
それらは「(例えば)ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」であって、時にはヴァイオリンが「伴奏」の役を果たし、時にはピアノが「伴奏」の役割を果たす、「合奏」です。はっきり言ってこれは「室内楽」であり、デュオなのです。決して「伴奏」ではないのです。
クラシックを知らない人がこれらを理解できないのは、ごく普通のことだと思います。
私は例えばスポーツに興味がないので、サッカーや野球のルールなんて全然知りません。どっちのゴールに入れるかなんて、笑われるほど知らないのです。
しかし、日本では、音大を出たような人でも、ソナタやシューベルトのヴァイオリンとピアノのソナチネなどのピアノを「相手を引き立てるだけの存在」あるいは「ソロより下の存在」だと思っているので悲しくなります。実際、上も下もありません。ちがう分野のものなのです。
例えば、国際コンクールの課題曲にピアノとのソナタがあるとします。ここで、ヴァイオリンがそれこそ「アタクシだけがソリストでございます」のように、ひとりだけでピアノのほうも見ずに熱演したら、決して良い点は取れません。そういうことです。
クラスコンサートでコレペティのピアノの先生と弾く時に、演奏後に学生はきちんと先生の方に手を差し出して、観客の拍手をうながす、このステージマナーを見ても、ソナタは共演だということがよくわかると思います。(ちなみに、音楽大学のピアノを請負ってくれる「先生」はコレペティであり「伴奏係の人」ではないので注意してください。音楽大学のコレペティの先生についてはこちらをみてください。)
で、何がいいたいかというと「伴奏」という体で、リスペクトを失ってはいけません、ということです。演奏するピアニストも、「たかが伴奏」と思ってはいけないこと。そして共演する方も「私を弾きたてる為に存在するヒト」と思ってはいけない、ということです。
このようなデュオやトリオをはじめとする「室内楽」は欧州の音楽大学ではきちんとした学科として成り立っています。ソロの演奏家を育てる学科とはまた別のもので、技術面も精神面もチームワークがもとめられます。
お互いをサポートしながら、同じ目的を持って曲を作り上げていくのです。
日本語で頻繁に使われる「伴奏」という言葉は誤解を生みやすい気がしますが、実は「伴奏」ではない場面」が多くあるということを、少しでも知ってほしいな、と思う私です。