固執しないことは結局、最終的に良い結果を呼ぶというおはなし

ピアノとヴァイオリン

*おなじみ有名なモーツァルトの像の前で、どこかのアマチュア合唱団が歌っていました*

以前は「絶対にこの職を手に入れたい」とか「絶対にこのアパートをゲットしたい」「絶対に人事をこう変えたい!」娘に関しては「絶対に○○教授に師事させたい」とか「絶対にこのコンクールでとらせたい」とか「絶対に〜したい」「絶対に〜が欲しい」という欲望があからさまにありました。もう、この希望が叶わないなら「○ぬ!」的な勢いです。こだわりと欲。まあ、誰にでもある程度はあるのでしょうが、私はこれを数年前からやめました。

なぜかというと、その欲望はその場では叶わなくても、結果、叶わなかったことによって、良い事が沢山起きた、あり得ないレベルの良い出会いがあった、という事をここ数年、たくさん経験したからです。

例を挙げたいのですが、あまりにリアルなので書けない事が多いので残念。それでも書いてみると、ある不正により嫌な経験をした事により、その環境を離れ、レベル的にも天と地の差の場所に行くことができて、結果的には何もかも向上し、素晴らしい環境に身を置くことができた、みたいな感じです。不正や不誠実で嫌な思いをしても、自分が悪くなければ、不幸になるのは自分ではない、ということです。

いくら切望しようと、世の中は自分で変えられないことばかりです。特に人が絡む場合は当然と言えば当然です。

そうは言っても私もまだ人間なので(笑)「こうだったらいいな」みたいな希望はいつもあるのですが、「このアパートが手に入らなかったら、それはきっとそうなるべき。音の苦情がきたりするんだろう」と思うようにしています。極端に言えば、自分のフライトがキャンセルになったら「ああ、事故があったのかも、これに乗らないことによって、不幸を避けられたのかもね」みたいな感じです。

自分で思うように事が運ばず、焦ったり悩んだりするのはやめてみると楽になります。
今起きていることは、将来のためにあるべきことなのかも知れません。