せっかくマスタークラスに来ているのだから、レッスン中は言われた事を直してみよう

音楽留学のために

これまで沢山のマスタークラスを見てきて思うことです。
せっかくマスタークラスに参加しているのに、教授が指示した事をやらない学生さんがいること、これは本当に不思議です。

「やろうと思ってももうできないのか?」それとも「教授の指示が好きでないから、わざとやらないのか?」
私はそういう学生さんを見た時にまず思います。「わざとやらない?それとも出来ない?」

ある、数年前のピアノのマスタークラスの学生さん。
(毎回書いてしつこいですが、この学生さんは日本人ではありません)

その学生さんはロマン派のある曲を弾きました。
良くいえばとても音楽的で感情がこもっていて、情熱的な演奏です。教授はまず、その学生さんの長所を褒め、そしてこう言いました。

「でも少しやりすぎね。曲には構成というものがあって、盛り上がるところとその準備のところ、みたいなのがあるのだけれど、あなたの場合は毎小節がドラマで、1小節ごとに恋愛したり、失恋したり、誰かが死んだり、みたいな感じなの。冒頭はクールに、感情をこめずにはじめて見てくれる?」

そしてその学生さんは再びはじめから弾き始めたのですが、全然変わっていません。

遅すぎる冒頭のテンポに、繰り返されるルバート、毎小節に絶頂感は保たれ、大袈裟な呼吸はグールドのレコードの息遣いよりも大きく、ピアニシモよりも大きく教室中に響き渡っています。

「私は音楽の申し子なの。私のこの才能は誰にも止められないわ。」と言っているようでした。

教授は呆れ、それでもペダルの濁りなどを治してみるのですが、対して改善されない。この人は自分に酔ってしまって、自分が発する音をまるで聞いていないのです。

想像するに、どこかの権力者の子女で、褒められて褒められて今まで過ごしてきたのでしょう。そのマスタークラスでの賞も、あらかじめ決まっていたようでした。

もったえないなあ、と思いました。若いんだから、こんなに的確なアドヴァイスをもらっているのに耳に入れないなんて、なんてことでしょうと思いました。

これもかなり昔の話ですが、ヴァイオリンのマスタークラスでオジム巨匠が仰っていた事を思い出します。

「どんなに才能のない学生でも、私の支持した事をやってくれれば少しでも上達します。でも、私の教えたことをやらないのではどんなに才能があっても伸びません。どうぞマスタークラスに参加しないで帰ってください。」

本当にその通りだと思いました。

一方、マスタークラスだけで直せないような事、ヴァイオリンであれば全体的に音程が悪い場合、ピアノであれば根本的な手の形などは教授は触れない事が多いです。それよりも、その場で直せるようなことから手をつけていくことが多いようです。

若い時は、自分が1番と思うこともあるでしょうし、その気持ちもある程度は大切だと思います。
でも、せっかくお金を払って習っているので、聞いてみても悪いことはないと思います。

最後に書きますが、言われた事を緊張し切ってしまって治せない人も居ます。
そして、左手だけの暗譜ができていない、みたいな準備不足の場合はすぐに対応できないこともあります。初めての教授のマスタークラスを受ける場合は、万全に、自分のできる最大の準備をして参加しましょう。