コンクールに人生をかけては絶対にいけない、という件について

ピアノ塾

*写真は去年のイタリアの音楽祭の野外コンサートの時のもの。楽しかったなあ*

さて、コンクールについて書きますが、私が書くのは欧州の国際コンクールのお話です。
日本のコンクールについては、私は何も知らないので、以下、私の書くことは全く該当しないことをはじめにお伝えしておきます。

コンクールのために一生懸命に年数をかけて準備をし、努力するのは当たり前のことです。
多くの人が同じように頑張って望みます。しかし、予選のその前のテープ審査や書類審査で、明らかにレベル超えているのに落とされることもあります。

そしてその逆に、なんでこれが?という演奏が平気で入っている場合があります。今はライブがあるので、わかる人には手に取るようにわかります。(残念ながら、わからない人は95%くらいいる、と言われています)

さて、どうしてそんなことが起きるのでしょう?それを、例えばこちらの審査員の教授達に聞いてみましょう。答えは、「それはコンクールだから」なのです。

コンクールとはどのように運用されているか知っていますか?とてもお金がかかるのです。私は実際に国際コンクールを運営している人、巨匠としてコンクール審査員を務めた教授をたくさん知っています。彼らにその疑問点を聞くと、みんな大人なので、ナイーヴなことは言いません。「コンクールだからね」という答えが100%返ってきます。(本当に下手な場合は別、落ちるべくして落ちる)

数年前、某国際コンクールで、1次審査に残った人たちが発表されたその場に私もいました。主催者の挨拶が正直で本当に良かった(というべきかわかりませんが)

「残念ながら次のラウンドに行けなかった皆さん、がっかりしないでください!みんな上手でした。この結果を重く受け止めないでください!わかりますか?みなさん、これは、これは、コンクールなんです!!!」

かなり上手だけれど次のラウンドに行けなかった知人の学生が「ここまではっきり言われると言葉もないわ」と苦笑いしていました。もちろん、本当に下手で落ちた人もいます。その部類の人達はコンクール云々で文句を言う前に、練習しなければいけませんが。。。。(そこらへんは自分で自分の能力を見極める力も必要です)

だから、コンクールで明らかに実力があるのに残らなかった場合、もし、多くの教授があなたの実力を認めている場合は嘆く必要はありません。(もちろん、違う場合は全然ダメだけど)今までの努力や存在を否定された気分になるのもわかります。でも、難しいですが、振り返ってはいけません。忘れるしかないのです。

運もあります。賞レースで裏方が大喧嘩になっている時に、ひょっこり入り込めた、とかそういうことも起きます。こればかりは本当にわからないのです。

何が言いたいかというと、人生をやめようとか、ヴァイオリンをやめようとか、ピアノをやめようとか、そういうような決断を下すようなものではない、ということです。

自分にはコンクールには縁がない、と思ったらコンクールにチャレンジするのをやめるのもよし、練習のためにチャレンジするのもよし、でも結果が出なかった時は諦める勇気も持ちましょう。コンクールは断じて、人生をかけるようなものではありません。